河内摂津かわちせっつ)” の例文
大塔宮様が熊野方面に落ち、楠正成くすのきまさしげ河内摂津かわちせっつの間に、隠顕出没いんけんしゅつぼつして再挙を計るべく、赤坂の城をこうして開いたのは、元弘元年十月の、二十一日のことであった。
赤坂城の謀略 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)