池禅尼いけのぜんに)” の例文
池禅尼いけのぜんにの子として誠意を尽してくれてはいるが、他の者にどう扱われるだろうかと、そればかりが気になってびくびくしていたが、やがて鎌倉から使いが届いた。
「それは思いもよらぬこと。かく申すわれは故池禅尼いけのぜんにに命を助けられた身、そのご恩に報ぜんと毎日法華経一部を転読しておるものでござるが、この外に何も考えてはおりませぬ」
唯、勅命なれば如何いかんともし難く、心ならずも敵と味方に別れたのでござる。というのも、池禅尼いけのぜんにの助命をお聞き入れ下された清盛入道あってこそ、今この頼朝も生きておれるのじゃ。
そもそも頼朝という奴は、あの平治元年十二月、父義朝よしともの謀叛で死罪になるはずだったのだ。池禅尼いけのぜんにの嘆願でようやく死一等を免れて流罪になった奴だ。奴の命を助けたのは誰と思っているのだ。