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桂昌院
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けいしょういん
ふりがな文庫
“
桂昌院
(
けいしょういん
)” の例文
さしもの幕府の
庫
(
くら
)
の金塊も、放漫な経理と、将軍綱吉や、その生母
桂昌院
(
けいしょういん
)
の湯水のごとき浪費とで、近年は
涸渇
(
こかつ
)
に
瀕
(
ひん
)
してきたのである。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
具体的にいうと、いま五代将軍の
綱吉
(
つなよし
)
と、その生母の
桂昌院
(
けいしょういん
)
が、何しろ非常な
濫費家
(
らんぴか
)
だった。いや、金の作用というものを知らないのだ。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
生母
桂昌院
(
けいしょういん
)
の勢力というものから、大奥の婦女政治が
醸
(
かも
)
され、妖僧の進言が用いられ「
畜類
(
ちくるい
)
お
愍
(
あわれ
)
み」などという、民を犬以下に見る法令が出て来たりした。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
一僧とは、たれも知る、綱吉の生母
桂昌院
(
けいしょういん
)
が、崇拝してやまない
護持院
(
ごじいん
)
の大僧正
隆光
(
りゅうこう
)
のことらしい。
梅里先生行状記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“桂昌院”の解説
桂昌院(けいしょういん、寛永4年(1627年) - 宝永2年6月22日(1705年8月11日))は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母。通称は玉。光子。『徳川実紀』によれば、父は北小路(本庄)太郎兵衛宗正(宗利)。母は鍋田氏。兄に北小路道芳(後に本庄姓を賜り本庄道芳)、弟に本庄宗資がいる。
(出典:Wikipedia)
桂
漢検準1級
部首:⽊
10画
昌
漢検準1級
部首:⽇
8画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“桂昌院”で始まる語句
桂昌院樣