東洞院ひがしのとういん)” の例文
独美は寛政四年に京都に出て、東洞院ひがしのとういんに住んだ。この時五十九歳であった。八年に徳川家斉いえなりされて、九年に江戸にり、駿河台するがだいに住んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
法皇も、公卿殿上人を随えて、六条東洞院ひがしのとういんでご見物になっていたが、何といっても長い間、お側近く召し使われた者たちだけに、今日の哀れさは一しお胸をつかれた様子であった。
東洞院ひがしのとういんの西、竹之辻たけのつじという藪添やぶぞいの手狭い浪宅だった。
源九郎冠者義経、かばの冠者範頼のりよりの二人は、これらの首を東洞院ひがしのとういんの大路を北へ見せあるいた上で、獄門にかけたいということを後白河法皇に伺いをたてた。これには法皇もお困りになったらしい。