暁湖ぎょうこ)” の例文
楽真院は茝庭さいてい、安良は暁湖ぎょうこで、ならびに二百俵の奥医師であるが、彼は法印、これは法眼になっていて、当時くらの分家が向柳原むこうやなぎはらの宗家の右におったのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
任命は若年寄わかどしより大岡主膳正しゅぜんのかみ忠固ただかたの差図を以て、館主多紀安良あんりょうが申し渡し、世話役小島春庵しゅんあん、世話役手伝勝本理庵りあん熊谷くまがい弁庵べんあんが列座した。安良は即ち暁湖ぎょうこである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
抽斎が講師になった時には、もう玉池が死に、子藍渓らんけい、孫桂山けいざん、曾孫柳沜りゅうはんが死に、玄孫暁湖ぎょうこの代になっていた。抽斎と親しかった桂山の二男茝庭さいていは、分家して館に勤めていたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)