明極みんきょく)” の例文
また今日残っている広厳寺の位牌とか、その広厳寺で、正成が死の前日に、明極みんきょく和尚から大悟の一禅をさずかったなどという話は、おおかた江戸時代の作為で参考にするまでのことはない。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは南禅寺の僧、明極みんきょくだった。——たまたま、宮が南禅寺へもうでたとき、明極和尚は、一法語を宮にさずけた。それは兵仏一致論ともいえるもので、仏家としてはずいぶん穏やかでないものである。