“日蔵”の解説
日蔵(にちぞう、905年? - 967年?)は、平安中期の修験者。真言密教の僧。如意輪寺を開基した。
三善清行の子とされる。兄弟に浄蔵がいる。また、『源平盛衰記』では朱雀天皇の落胤としている。初名は道賢。916年2月に12歳のときに金峯山椿山寺で剃髪し、穀物を断って修行に励んだ。延喜年間に如意輪寺を開基し、後に山城国の東寺に住み、次いで大和国の室生山龍門寺に住んで「学問は真言を究め、神験極まりなかった」(『本朝神仙伝』)という。なお、本朝神仙伝では、老年になっても幼い顔のままであったといい、老年になって前世に埋めた鈴杵を掘り当てたので「前世と今世を知る人物」としている。万秋楽は日蔵が唐から伝えた曲とされる。
(出典:Wikipedia)
三善清行の子とされる。兄弟に浄蔵がいる。また、『源平盛衰記』では朱雀天皇の落胤としている。初名は道賢。916年2月に12歳のときに金峯山椿山寺で剃髪し、穀物を断って修行に励んだ。延喜年間に如意輪寺を開基し、後に山城国の東寺に住み、次いで大和国の室生山龍門寺に住んで「学問は真言を究め、神験極まりなかった」(『本朝神仙伝』)という。なお、本朝神仙伝では、老年になっても幼い顔のままであったといい、老年になって前世に埋めた鈴杵を掘り当てたので「前世と今世を知る人物」としている。万秋楽は日蔵が唐から伝えた曲とされる。
(出典:Wikipedia)