拿破崙ナポレオン)” の例文
歐羅巴ヨオロツパの平和はタルラン、メツテルニヒが手にのみ握られたりしにあらず。拿破崙ナポレオンが戰略、ブリユツヘルが兵威こそ大勢を左右することを得つるなれ。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
われは消遣せうけんの爲めに市の外廓より出でゝ、武具の辻(ピアツツア、ダルミイ)を過ぎ、拿破崙ナポレオンの凱旋塔の下に至りぬ。世のいはゆるセムピオオネの門(ポルタ、セムピオオネ)とは是なり。
拿破崙ナポレオン第一世、あるとき有名の女先生「カムペン」にいいいわく、旧来の教育法は、ほとんどその貴重すべきものなきに似たり。しかして人民をよく訓導するために欠くところのもの、何ぞや。
教育談 (新字新仮名) / 箕作秋坪(著)
しかし拿破崙ナポレオン名聞心みょうもんしんが甚だしく常人に超越している為めに、その自伝が名聞心を研究する材料になりにくいと同じ事で、性欲界の豪傑 Casanova の書いたものも
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)