御母ミオヤ)” の例文
母が、子の姿を易へてやる例は、古事記の春山霞壮夫の御母ミオヤがさうである。常陸風土記の、晡時臥山の話の御子神に瓮を投げて、上天の資格を失はした母も、其にあたる。
その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣アメマムネトヨオホヂノミコトサマがおかくれになり、御母ミオヤ 日本根子天津御代豐國成姫ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ大尊樣オホミコトサマがお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫釈迢空(著)
その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣アメマムネトヨオホヂノミコトサマがおかくれになり、御母ミオヤ 日本根子天津御代豐國成姫ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ大尊樣オホミコトサマがお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。
死者の書 (旧字旧仮名) / 折口信夫(著)
その頃になつて、天真宗豊祖父尊様アメマムネトヨオホヂノミコトサマがおかくれになり、御母ミオヤ 日本根子天津御代豊国成姫ヤマトネコアマツミヨトヨクニナスヒメ大尊様オホミコトサマがお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。
死者の書 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
秋山下冰壮夫シタビヲトコに対する春山霞壮夫の御母ミオヤの採つた方法などは、此例のとこひの著しい例である。嫉妬・我欲等の利己の動機から出るものは、かしり(動詞かしる)と言ふ語であつたと考へられる。