御成門おなりもん)” の例文
宇田川町で電車を下り、御成門おなりもんの方へ一直線に急ぎ、またの電車線を横切つて、自分がきのふまで陣取つてゐたところに行つて見た。
被遊て源徳院殿げんとくゐんでんと號し奉るなりよつて去頃さるころ家重將軍いへしげしやうぐん是へ爲成候に付御成まへにはかにあたら敷御成門おなりもんとして出來ければ淨土宗じやうどしうのともがら是を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
三島町の角を、御成門おなりもんの方へ、今の赤十字本社のある増上寺の学寮の前まで来ると、後ろからヒタヒタとけて来るらしい足音が聞えます。
振返ると、松林のこずえをぬいて、意外なくらい近く、その山門が見えた。来るときには御成門おなりもんから入ったので、いちどまぢかに眺めたのである。
しかも御成門おなりもんから増上寺に至るまでのお道筋一帯は大名諸侯の屋敷といわずお小屋といわず、およそ家と名のつくものは一軒残らず煙止めとなるならわしでした。
芝園橋しばぞのばしで一度、御成門おなりもんで一度、田村町たむらちょうで一度、日比谷の角で一度。ちょいと待ちな、どこへ行く。
そして御成門おなりもんの電車停留所の方から傾斜をのぼつて來る男があると、どの男を見ても、先づ義雄の客ではないかと思つた。
御成門おなりもんを出ると馬場があり、そのさきは武家屋敷がつづいている。真向から吹きつける風のなかを、丹三郎はけんめいに走った。けれども駕籠は見えなかった。
神田から御成門おなりもんまでの切符代が無かつたのか、惜しまれたのかして、曾ては、その間を歩いて、夜中の一時半頃に我善坊へ歸つて來たこともある女だが、一緒になつてからは