左腭下さがくか)” の例文
東堂は左腭下さがくかこぶを生じたので、自ら瘤翁りゅうおうと号していたが、別に臨んで、もう再会は覚束おぼつかないといって落涙した。成善の去った翌年、明治五年九月十六日に東堂は塩分町しおわけちょうの家に歿した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)