小野道秀おのどうしゅう)” の例文
本皓には庶子があって、名を令図れいとといったが、渋江氏をぐには特に学芸に長じた人が欲しいというので、本皓は令図を同藩の医小野道秀おのどうしゅうもとへ養子にって、別に継嗣けいしを求めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
令図はでて同藩の医官二百石小野道秀おのどうしゅう末期まつご養子となり、有尚ゆうしょうと称し、のちまた道瑛どうえいと称し、累進して近習医者に至った。天明三年十一月二十六日うまれで、致仕の時七十五歳になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)