大儒たいじゅ)” の例文
由来、王朗は博学をもって聞え、大儒たいじゅの風もありといわれ、魏の棟梁とうりょうたる経世武略の人物として、名はあまねく天下に知れていた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
碩学せきがく大儒たいじゅの哲学者王たるべきが如く、批評家王たるべきものもあろう。出版業者王たるべきものもあろう。新聞経営者王たるべきものもあろう。人生の評価は千殊万別である。
細木香以 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
こういう外人の教師と共に、まだ島田重礼先生というような漢学の大儒たいじゅがおられた。先生は教壇に上り、腰から煙草入を取り出し、おもむろに一服ふかして、それから講義を始められることなどもあった。
「盧植は海内の学者です。中郎将としてよりも、大儒たいじゅとして名が知られています。それを董卓が殺したと天下へ聞えることは、あなたの不徳になります。ご損です」
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その頃、潁川えいせん大儒たいじゅ石韜せきとうは、諸州を遊歴して荊州にきていた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)