明治二十四、五年頃の東京文科大学選科めいじにじゅうし、ごねんころのとうきょうぶんかだいがくせんか
私共が故郷の金沢から始めて東京に出た頃は、水道橋から砲兵工廠辺はまだ淋しい所であった。焼鳥の屋台店などがあって、人力車夫が客待をしていた。春日町辺の本郷側の厓の下には水田があって蛙が鳴いていた。本郷でも、大学の前から駒込の方へ少し行けば、も …