報条ひきふだ)” の例文
前記の報条ひきふだは多分喜兵衛自作の案文であろう。余り名文ではないが、喜兵衛は商人としては文雅のたしなみがあったので、六樹園の門に入って岡鹿楼笑名おかしかろうわらいなと号した。
河竹繁俊さんの『黙阿弥襍記もくあみざっき』の附録に、黙阿弥の書いた報条ひきふだの文章が五十種ばかりあつめてある。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
淡島屋の軽焼の袋の裏には次の報条ひきふだが摺込んであった。余り名文ではないが、淡島軽焼の売れた所以ゆえんがほぼ解るから、当時の広告文の見本かたがた全文を掲げる。
黙阿弥が店びらきの報条ひきふだを書いた“ねじやか堂の裏長家、手狭な宅へ蒲焼と、世間並の行燈かけた”小料理屋も、つまりは、その十六軒のなかに入っていたのだろうが、果してそれが、その境内が
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)