この佐川町から多くの儒者が出たのは、ここに名教館という儒学つまり漢学を教える学校があり、古くから教育をやっていたためである。
明治七年、小学校が出来る直前には名教館で日進の学課を修め次いで同七年に出来た町の小学校に通い、かたわら師について英語を学んだ。
街には「名教館」という学校があって孔孟の教が教えられ、算数の学が講ぜられなどして、学問も随分盛んでした。当時高知についでの学問地だったのです。
前に述べたように私の町には士族が多かったので、明治維新前の徳川時代に深尾家で建てた名教館という学校があって、儒学を教授していた傍ら算術なども教えていた。
私の町(土佐佐川町)の寺子屋、そして間もなく私の町の名教館という学校、それに次いで私の町の小学校へ通う時分よく町の上の山などへ行って植物に親しんだものです。