博文ひろぶみ)” の例文
明治新政府の外交官として伊藤〔博文ひろぶみ〕、井上〔かおる〕、後藤(象二郎しょうじろう)、寺島〔宗則むねのり〕、小松(帯刀たてわき)や我輩が任命せられた。
青年の天下 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
爆発物取締規則とともに華族令がかれ、公侯伯子男と雛壇づけられた中へ、成上り官僚の重信朝臣や博文ひろぶみ朝臣が頑丈な肩幅を割りこんできたかわりには
武鑑譜 (新字新仮名) / 服部之総(著)
森春濤の男槐南かいなんも毅堂に師事した人である。槐南は公爵伊藤博文ひろぶみの知遇を受け内閣に出仕し、累進して晩年には宮内大臣秘書官より転任して式部官となった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
末松青萍すえまつせいひょう氏たちの演劇改良の会が(末松氏は伊藤博文ひろぶみの婿)「演芸矯風会」に転身して、七月八日に発会式を、鹿鳴館ろくめいかんで催し、来賓は皇族方をはじめ一千余名の盛会で、団十郎氏令嬢の
朱絃舎浜子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
その十月二十八日付で、大蔵少輔伊藤博文ひろぶみが幣制調査のため渡米したいという建白を出し、同十月三日許可され、十一月二日横浜を出帆してアメリカにわたる。
黒田清隆の方針 (新字新仮名) / 服部之総(著)
その時に自由党は自滅して、高名なる大政治家の伊藤いとう博文ひろぶみ〕侯〔爵〕の下に、自由党、国民協会の一部、官吏の一部、その他中立、実業家というものが集って、政友会というものが生れたのである。
〔憲政本党〕総理退任の辞 (新字新仮名) / 大隈重信(著)