劉琦りゅうき)” の例文
と語り——また劉琦りゅうきをかえりみて、呉の孫策が死んだ時、荊州から弔問の使者が会葬に行ったか否かをたずねて、琦がその事なしと答えると
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まず嫡男の劉琦りゅうき君をそそのかして、後日、荊州を横奪おうだつせんと企んでおるのを知らんか。彼を生かしておくのは、われわれの国の災いだと思う」
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
荊州の主、劉表りゅうひょうは死なれた。しかし遺孤いこ劉琦りゅうき——すなわちその嫡子はなおわが劉皇叔のもとに養われている。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御身が承知してくれないならば、嫡子の劉琦りゅうきを取立てて荊州の主に立ててくれよというのであった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
危急に迫って、援軍をたのんでも、援軍の間に合う場合は少ないものであるが、それの間に合ったのは、やはり孔明自身行って、関羽や劉琦りゅうきをよく動かしたからであろう。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孫乾の帰るとき、嫡子の劉琦りゅうきを共に新野へやって、深く今度のことを謝罪した。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
劉琦りゅうきは、前の妻ちん夫人の腹であり、次男劉琮りゅうそうは、さい夫人のした子である。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何の触れもなく、どうして急に参られたか」と、問うと、劉琦りゅうき
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
近づいて見ると、孔明にはあらで、江夏こうか劉琦りゅうきである。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)