言いかえれば作者の感情のままに自然は剪定されるのである。自然は自由に作者の前にひざまずく。これは決して形容ではない。客観写生の妙技である。
紡錘形に剪定したアスナロを模様のようにところどころに植えこみ、その間に花壇と睡蓮の池がある。
剪定をしない果樹が、そのまま実を付けるだけ付けて、やがてその重みのために自ら折れるように、人間の組立てている社会も、その矛盾と反人間性のために、このままでは
薔薇を植えた者が、自ら薔薇を刈るに似ているが、小閑の鋏で、あちこち、少し史実と創意の枝とを剪定して、この一輯を束ねておくことにした。