公佐きんすけ)” の例文
ただ彼女の連れ子(前夫との一女子)は右馬頭うまのかみ公佐きんすけに嫁いでいたので、その女子だけは、良人と共に京都へ移り、時の一条能保よしやすと肩をならべて、かなり一ト頃は羽振りをふるった。
が、この公佐きんすけもまもなく京都で失脚している。そして子孫は朝廷に仕えてきたが「尊卑分脈」でみると、それからは——阿野実直——(不明)——公廉——廉子やすこ——の順となっている。