信恬のぶさだ)” の例文
後年黒田長政此国主たるによりて中門回廊諸堂末社の廃絶を継興す。(信恬のぶさだ按ずるに兵火のために炎失せしは天正八年に当れり。)
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
村片相覧むらかたあうみの作つた蘭軒の画像には、背後の磁瓶じへいにふぢばかまの花が插してある。村片は信階のぶしな信恬のぶさだ二世の像を作つた。蘭軒の像の事は重て後に言ふこととする。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
其三は宗家四世信階のぶしなが一旦宗家を継いだ後に分立したもので、蘭軒信恬のぶさだは此信階の子である。徳さんの謂ふ「分家」で、今牛込市が谷富久町に住んでゐる徳さんが其当主である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)