亜墨利加アメリカ)” の例文
○予が父は初め新銭座しんせんざの福沢塾にて洋学を修め明治四年亜墨利加アメリカに留学し帰朝の後官員となりし人にて、一時はなかなかの西洋崇拝家なりけり。
洋服論 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
亜墨利加アメリカ船、薪水しんすい、食糧、石炭、欠乏の品を、日本人にて調ととのへ候だけは給し候為、渡来の儀差し許し候」
後浦賀表へ亜墨利加アメリカ船渡来、神奈川沖に碇泊まかりあり、退帆致すべしと承るに及んで宿志をぐべしと存じ、ひそかに渋木松太郎こと重之助儀も同志に候とて、連立ちて横浜村へまかり越し候処
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
百年のむかし亜墨利加アメリカの船は相模の浜辺に来て江戸の都を脅した。当時の政治家は国民の一人をさえ傷けず、しかもまた名実ともに、敗衂亡国の汚名から国を救った。
冬日の窓 (新字新仮名) / 永井荷風(著)