“カラコルム”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
喀喇和林66.7%
和林33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
この著述の際に、先生は蒙古の地理、殊に蒙古時代の中心舞臺であつた、喀喇和林カラコルム附近の地理を明かにする必要を感ぜられた。
那珂先生を憶う (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)
この書翰を蒙古の國都の喀喇和林カラコルムから歐洲のローマに到る間を、イタリーの僧侶のプラノ・カルピニ(Plano Carpini)が持ち歸つた事實は、よく元時代の特色を發揮して居ると思ふ。
あの時、和林カラコルムから別の道をとって、まっすぐお故郷くにへお帰りになればよかったものを。
さあ、阿納オノン客魯漣ケルレン宇児土砂ウルトサの三つの河の流域をわが手に収めて、和林カラコルムへ凱旋するだけだ。今日はその覇業の第一日だぞ。おい! 乃蛮ナイマン太陽汗タヤンカン先生! 出て来い! (虎を呼ぶ)
ああ、向うの山の端が、かすかに白みかけて来たぞ。今日はあの峠を越えて、乃蛮ナイマン国へ攻め入るのだ。都の和林カラコルムを出てから、もう二月あまりの旅だ。人も馬も、すこしの疲れも知らない。