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しょうないがわ
三蔵たち、青鷺組の者は、そこから小一里さきの、
庄内川の渡り口を
扼している大留城を、やがて
宵空の彼方に見る辺りまで、近づいて行った。
光明寺山の中段にある屋敷なので、土塀の外へ顔を出すと、
麓の道も見える。中村の耕地も見える、
庄内川や尾張の平野もひろびろと眺められる。
すでに朝から
二刻ほども、烈しい教練をやったので、信長は、
那古屋の城へ人数を向け、自身もその中の一騎となって、
庄内川の河原から引き揚げて来た。
勝入は、
聟の武蔵守と、協議の末、さいごの——
祐福寺、
明智の
線をえらんで、
庄内川を渡りはじめた。
日吉や村の悪童連は、毎日、
庄内川で泳いだり、田で赤蛙を捕って喰ったり、
裸体で暮した。