“かげかず”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
景員50.0%
景一50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
加藤次景員かげかず、同じく景廉かげかど、伊沢五郎、逸見へみの冠者光長などが、甲斐源氏の武田一族や、安田義定などと団結して、これが駿河方面へ出、鎌倉の本軍と合流することになっている。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
景廉の父、加藤五景員かげかずは、子を気づかって、最後まで踏み止まる。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼朝と一緒にとは、景員かげかずが云わなかったからである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十三年四月赤松殿阿波国あわのくにあわせ領せられ候に及びて、景一かげかずは三百石を加増せられ、阿波郡代あわぐんだいとなり、同国渭津いのつに住居いたし、慶長けいちょうの初まで勤続いたしそろ
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
弥五右衛門景吉の父景一かげかずには男子が六人あって、長男が九郎兵衛一友かずともで、二男が景吉であった。三男半三郎は後作太夫景行かげゆき名告なのっていたが、慶安五年に病死した。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)