高砂たかさご)” の例文
ところで備前にあった参河守範頼は、船のないのを良いことに、むろ高砂たかさごなどで遊蕩にふけって、すっかり戦を忘れ果てていた。
つづめていえば、稲日野は加古川の東方にも西方にもわたっていた平野と解釈していい。可古島は現在の高砂たかさご町あたりだろうと云われている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
大勝の御店おたなの方から手伝いに来た真勢さんは日本橋高砂たかさご町附近の問屋を一廻りして戻って来て、た品物をそろえに出て行こうとしている。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
が身が幸福になりたいばかりに祝言しゅうげんさかずきもした。父、母もそのつもりで高砂たかさごを聴いていたに違ない。思う事はみんなはずれた。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
弁の少将が拍子を取って、美しい声で梅が枝を歌い出した。この人は子供の時韻塞いんふたぎに父と来て高砂たかさごを歌った公子である。
源氏物語:32 梅が枝 (新字新仮名) / 紫式部(著)
盃が一順廻った時分に、小野がどこからか引っ張って来た若い謡謳うたうたいが、末座に坐って、いきなり突拍子な大声を張り揚げて、高砂たかさごを謳い出した。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
二度目には雷神坂を、しゃ、雲に乗って飛ぶように、車の上から、見晴しの景色をながめながら、口のうちに小唄謡うて、高砂たかさごで下りました、ははっ。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
同じ日に浜町の後室から「しま縮緬一反」、故酒井忠質室専寿院ただたかしつせんじゅいんから「高砂たかさご染縮緬ふくさ二、扇二本、包之内つつみのうち」を賜った。
護持院原の敵討 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
備中から備前、それから播州巡ばんしうめぐりをして、石の寶殿はうでん高砂たかさごの松を見て歩く中に、道臣はお時と、京子は竹丸と、別々の旅人のやうになつて歩いたこともあつた。
天満宮 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
蝦夷えぞ韃靼だったん天竺てんじく高砂たかさごや、シャムロの国へまで手を延ばして、珍器名什を蒐集することによって、これまた世人に謳われている松平碩寿翁せきじゅおうその人なのであった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
二た間っこ抜いたへやが式場で、その裏が花嫁の支度部屋、長屋の者が集まって、目出たく三三九度が済むと、「高砂たかさごや——豆腐イ」と言った調子のが始まります。
或ひは源氏の大将の昔の路を忍びつつ、須磨すまより明石あかしの浦づたひ、淡路あはぢ迫門せとを押しわたり、絵島が磯の月を見る、或ひは白浦しろうら吹上ふきあげ、和歌の浦、住吉すみよし難波なには高砂たかさご
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
例へば「高砂たかさご」を演じるとする。初めにワキ・ワキヅレが次第しだいの囃子で登場して一定の場所に着座するまでは序の部分であるから、これは粘らずにサラリと運ばねばならぬ。
演出 (新字旧仮名) / 野上豊一郎(著)
歳祝いをする家でも生活がゆたかなだけに、膳部をにぎやかにして、村人達が七福神とか、春駒とか、高砂たかさごとかと、趣向をらして、チャセゴに来てくれるのを待っているのである。
手品 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
和泉いずみ町、高砂たかさご町、住吉すみよし町、難波なんば町、江戸町の五カ町内二丁四方がその一郭で、ご存じの見返り柳がその大門通りに、きぬぎぬの別れを惜しみ顔で枝葉をたれていたところから
主人夫婦のことをオジンバ(土佐幡多とさはた、近江伊香いか)、オンジョウンボ(鹿児島県)、バオジ(出雲いずも)、ウバグジ(陸前栗原)などといい、または熊手くまで高砂たかさごの絵から思い寄って
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
舞踏も少し行なわれ、また盛んに談笑された。甘えっ児の婚礼だった。高砂たかさごじいさんを招いてもいいほどだった。それにまた、高砂の爺さんはジルノルマン老人のうちに含まれていた。
ことなく高砂たかさごをうたひおさむれば、すなはあたらしき一つい夫婦めをと出來できあがりて、やがてはちゝともはるべきなり、諸縁しよゑんこれよりかれてちがたきほだし次第しだいにふゆれば、一にん野澤桂次のざわけいじならず
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
南に飾磨しかまの津をいだき、舟行しゅうこうの便はいうまでも候わず、高砂たかさご屋島やしまなどへの通いもよく、市川、加古川、伊保川いほがわなどの河川をめぐらし、書写山しょしゃざん増位山ますいやまなどのけんを負い、中国の要所にくらい
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これだけの心得がなくて、本役をお受けできるか——勅使両山御霊屋へ御参詣、お目付お徒士頭かちがしらが出る。定例じゃぞ。十三日が、天奏衆御馳走のお能。高砂たかさごに、三番叟さんばそう。名人鷺太夫がつとめる。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
高砂たかさごや、この浦舟に、帆をあげて、……」
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
播磨はりまと丹波の境、三草山みくさやまを固めておられた由、義経に破られた後は、資盛、有盛、忠房の御三方は播磨の高砂たかさごからご乗船、讃岐さぬきの屋島へ落ちのびられました由
今頃は高砂たかさごをうたっておられるだろうと思われる時刻に、そのお嬢様が一人で帰って来られ、若党へ、これからすぐ妾と一緒に行っておくれとおっしゃったそうで。
猿ヶ京片耳伝説 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
二た間っこ抜いたへやが式場で、その裏が花嫁の支度部屋、長屋の者が集まって、目出たく三三九度が済むと、「高砂たかさごや——豆腐イ」と言った調子のが始まります。
呂宋ルソンとか、高砂たかさごとかいうところ、或いはもっと、ずっとのして、亜米利加アメリカ方面まで行くかも知れぬ
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
道中の胡麻ごまの灰などは難有ありがた御代みよの事、それでなくっても、見込まれるような金子かねも持たずさ、足も達者で一日に八里や十里の道は、団子をかじって野々宮高砂たかさごというのだから
湯女の魂 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
二三年前宝生ほうしょうの舞台で高砂たかさごを見た事がある。その時これはうつくしい活人画かつじんがだと思った。ほうきかついだ爺さんが橋懸はしがかりを五六歩来て、そろりと後向うしろむきになって、婆さんと向い合う。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
よい背景を持っていて世間から大事に扱われている子であった。才があって顔も美しいのである。主客が酔いを催したころにこの子が「高砂たかさご」を歌い出した。非常に愛らしい。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
さうかと思ふと、吾儕わたしどもだつて高砂たかさごで一緒になつたんです、なんて、其様そんなことを言出す。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
抑〻そもそも、これは、九州肥後の国、阿蘇あその宮の神主友成かんぬしともなりとはわが事なり。われまだ都を見ず候ほどに、このたび思いたちてのぼり候。またよきついでなれば播州ばんしゅう高砂たかさごの浦をも一目見ばやとぞんじ候
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでにご紹介したごとく、わがむっつり右門によってほとんど根絶やしにされ、このうえは高砂たかさごのうら舟に帆をあげて、四海波おだやかなあおいの御代を無事泰平に送ればいいという世の中でしたから
袖中抄しゅうちゅうしょう』に引くところの古歌、「我のみや子持たりと思へば武隈たけくまのはなはに立てる松も子持たり」、『拾遺集』に「高砂たかさご尾上おのえに立てる」とあるのは、普通の耳馴れたことばに詠み改めたものであろう。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「川上源左衞門と治太夫の口が違ふ、それが何よりの證據だ。源左衞門は芝濱の高砂たかさごで別れたと言つたが、治太夫は此方のわなに乘つて、品川の壽屋ことぶきやで別れたと言つた」
やはらげ夫ほどまでに云なりせば此回このたびは許しつかはす可ければ今日よりして五日の中にもし病氣有る物ならば有とぞ云るたしかな證據を取て其むね吾輩おのれに云ね又無時には縁談えんだん再回ふたゝびむすびて高砂たかさご
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
余はまず天狗巌をながめて、次に婆さんを眺めて、三度目には半々はんはんに両方を見比みくらべた。画家として余が頭のなかに存在する婆さんの顔は高砂たかさごばばと、蘆雪ろせつのかいた山姥やまうばのみである。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
……いや、高砂たかさごの浦の想われるのに対しては、むしろ、むくむくとした松露であろう。
木の子説法 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
以前二条の院につれられて来て高砂たかさごを歌った子も元服させて幸福な家庭を中納言は持っていた。腹々に生まれた子供が多くて一族がにぎやかであるのを源氏はうらやましく思っていた。
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)
高麗こうらい大明だいみんはおろか、安南アンナン柬埔寨カンボジヤ婆羅納ブルネオ暹羅シャム高砂たかさご呂宋ルソン爪哇ジャバ満剌加マラッカはいうに及ばず、遠くは奥南蛮おくなんばんから喜望峰きぼうほうみさきをめぐり、大西洋へ出て、西班牙スペイン葡萄牙ポルトガル羅馬ローマ、どこへでも
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「川上源左衛門と治太夫の口が違う、それが何よりの証拠だ。源左衛門は芝浜の高砂たかさごで別れたと言ったが、治太夫はこっちのわなに乗って、品川の寿屋で別れたと言った」
「松も昔の(たれをかも知る人にせん高砂たかさごの)と申すような孤立のたよりなさの思われます私を、血族の者とお認めくださいましておっしゃってくださいますあなたは頼もしい方に思われます」
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
所は高砂たかさごの——
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正月の元日に尚侍ないしのかみの弟の大納言、子供の時に父といっしょに来て、二条の院で高砂たかさごを歌った人であるその人、とう中納言、これは真木柱まきばしらの君と同じ母から生まれた関白の長子、などが賀を述べに来た。
源氏物語:46 竹河 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「よし来た、——それじゃ、高砂たかさごやアとやるぜ」
「へエ、熊手をね。高砂たかさごじよう見たいに」