蒲団ふとん)” の例文
旧字:蒲團
ある時は夢にこの天文台に登りかけてどうしても登れず、もがいて泣き、母に起こされ蒲団ふとんの上にすわってまだ泣いた事さえあった。
花物語 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
大声で揺り起されて土岐健助が、宿直室の蒲団ふとんの中からスッポリと五分刈頭を出したのは、もう朝も大分日が高くなった頃であった。
白蛇の死 (新字新仮名) / 海野十三(著)
次郎は、やっと顔をあげ、恭一がのべてくれた自分の寝床をみつめていたが、急に飛びかかるように恭一の蒲団ふとんのうえに身を伏せた。
次郎物語:02 第二部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
すると、軽く膝をいて、蒲団ふとんをずらして、すらりと向うへ、……ひらきの前。——此方こなたに劣らずさかずきは重ねたのに、きぬかおりひやりとした。
妖術 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
田山白雲の身の廻りのことは、三度の食事から、蒲団ふとんの上げ下ろしまで、かゆいところへ手の届くように世話してくれる者があります。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
先達せんだってからあの男は」と、勘平は蒲団ふとんの上に起きなおったままつづけた。「よく湯島の伯母のところへ行くといっては出かけたものだ。 ...
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
それはいすの綿や、毛類や、蒲団ふとんなどが燃ゆる音であった。そうしてそのあいだにガチンガチンというガラスの割れる音が聞こえた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
へんに気恥ずかしく、うれしく、起きて、さっさと蒲団ふとんをたたむ。蒲団を持ち上げるとき、よいしょ、と掛声して、はっと思った。
女生徒 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その一寸いっすんのばしが、目覚めざまし時計の音を聞いてから、温かい蒲団ふとんの中にもぐっているように、何とも云えず物憂ものうく、こころよかった。
女妖:01 前篇 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ふと、丹七が眼をさまして見ると、かたわらに寝て居る筈のあさ子の姿が見えないので、はっと思って蒲団ふとんの中に手をやるとまだ暖かい。
血の盃 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
もはや社会にれられぬ人間になった気持で、就職口を探しに行こうとはせず、頭から蒲団ふとんをかぶって毎日ごろんごろんしていた。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
蒲団ふとんはりに掛けてあり、その上にゴザを冠せてあった。食糧や燃料は無いようである。雪は南側の窓のある方には随分入っていた。
単独行 (新字新仮名) / 加藤文太郎(著)
そうして、奥深い一室の布被ぬのぶすまを引きあけると、そこには、白い羽毛の蒲団ふとんおおわれた卑弥呼が、卑狗の大兄の腕の中で眠っていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それでも店の二階の蒲団ふとんに、慎太郎しんたろうが体を横たえたのは、その夜の十二時近くだった。彼は叔母の言葉通り、実際旅疲れを感じていた。
お律と子等と (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
白い蒲団ふとんの下に、遺骸は、平べったく横たわっていた。離れた首は、左の肩先に横向きに添えてある。涙ながら、人々は、ひつぎおさめた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ねむっている時も手から離しません。朝目が覚めて、「どこかへ行った」といいます。顔を洗いに立つと、蒲団ふとんの上に転がっていました。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
お島は夜を待つまもなく、小僧の順吉に脊負しょいださせた蒲団ふとんに替えた、すこしばかりの金のうちから、いくらか取出してそれを渡した。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
彼の血潮の大部分は、幸い彼の蒲団ふとんに吸収されてしまったので、畳はそれほど汚れないで済みましたから、後始末はまだ楽でした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
自分の体の上には生れて一度も見たことのないほどの美しい絹の蒲団ふとんがかけてありました。枕元まくらもとには、銀のわんにお薬が入っておりました。
三人兄弟 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
此次このつぎ座敷ざしきはきたなくつてせまうございますが、蒲団ふとんかはへたばかりでまだあかもたんときませんから、ゆつくりお休みなさいまし
「ところが、お前に見せるものがある」と、弥平は蒲団ふとんの下から紙につつんだものを出した。「これを先ず鑑定してもれえてえ」
半七捕物帳:29 熊の死骸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
小さな棕櫚しゅろの手箒で蒲団ふとんの上を、それから座敷箒で、その部屋と隣の部屋まで、とうとう三造はすっかり二階中掃除させられてしまった。
斗南先生 (新字新仮名) / 中島敦(著)
通る人も通る人も皆歩調あしどりをゆるめて、日当りを選んで、秋蠅の力無く歩んで居る。下宿屋は二階中をあけひろげて蚊帳かや蒲団ふとんを乾して居る。
茗荷畠 (新字旧仮名) / 真山青果(著)
その前年かに、泡鳴は小説「耽溺たんでき」を『新小説』に書いている。自然主義の波は澎湃ほうはいとして、田山花袋たやまかたいの「蒲団ふとん」が現れた時でもあった。
遠藤(岩野)清子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
思わず念仏をとなえると、泥棒はあわてて私の胸倉を突放し、蒲団ふとんの中へ私を押込んで、裏口から飛ぶように逃出してしまいました
薄い寝具の中にもぐり込んだまま、死んだようになっていた父親が出し抜けにもくりと蒲団ふとんに起き上って、血走った目で宙をにら
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
雨がれると水に濡れた家具や夜具やぐ蒲団ふとんを初め、何とも知れぬきたならしい襤褸ぼろの数々は旗かのぼりのやうに両岸りやうがんの屋根や窓の上にさらし出される。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
蒲団ふとんをばねて、勢好いきほいよく飛起きた。寢衣ねまき着更きかへて、雨戸をけると、眞晝まひるの日光がパツと射込むで、眼映まぶしくツて眼が啓けぬ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
彼女は両手で彼の頭をでていた。彼の涙はなお流れつづけた。彼は顔を蒲団ふとんに埋めてすすり泣きながら、彼女の手に接吻せっぷんした。
夜が明けたら、幸吉、お前は松をれて行って知らしてやってくれ、ついでに夜具蒲団ふとんのようなものでも持って来てやってくれ
「俺と伯父おじさんとは、これからおかへ往って来る、お客さんが、飯がすんだら、蒲団ふとんをかけて、とまを立ててあげろ、苫を立てんと風邪を引く」
参宮がえり (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
また小説を読みましても、花袋先生の「蒲団ふとん」の主人公が汚らしい蒲団をかぶって泣かれるあたりの男の心持はどうしても私どもに解り兼ねます。
産屋物語 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
そこには二枚の蒲団ふとんがあった。二人はそれをきよせて並んで坐っていたが、夜がふけていくに従って心がすっかり静まった。
成仙 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
荷物と云っても、ビールばこで造った茶碗ちゃわん入れとこしの高いガタガタの卓子テーブルと、蒲団ふとんに風呂敷包みに、与一の絵の道具とこのようなたぐいであった。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
蒲団ふとんも何もない、赤い半切れの毛布を持っていて、それを頭にすっぽり乗っけると、「八」をいて寝るのが習慣ならわしであった。
戦争雑記 (新字新仮名) / 徳永直(著)
団扇掛うちわかけに長い尺度ものさしの結び着けたのがの代りになり、蒲団ふとんが舟の中の蓆莚ござになり、畳の上は小さな船頭の舟ぐ場所となって
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
箪笥たんすと戸棚とをこもでからげ、夜具を大きなさいみの風呂敷で包んだ。陶器はすべてこわれぬように、箪笥の衣類の中や蒲団ふとんの中などに入れた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
部屋に這入ると、手探りで蒲団ふとんを敷いて蚊帳かやった。寝間着ねまきに着かえる力もなく、そのまま私はふとんの上に寝そべった。
寝る時はまた、お台所のきわの板張りの上に薄い薄い蒲団ふとんを敷いて、たった一人ふるえながら寝なければなりませんでした。
キキリツツリ (新字新仮名) / 夢野久作海若藍平(著)
今夜は少し熱があるかして苦しいようだから、横に寝て句合の句を作ろうと思うて蒲団ふとんかぶって験温器を脇にはさみながら月の句を考えはじめた。
句合の月 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
愚助は蒲団ふとんの中でを閉ぢてゐますと、どこかで、「気をつけ。右向け右、前へおい。」と、いふ号令の声が聞えました。
愚助大和尚 (新字旧仮名) / 沖野岩三郎(著)
が、かろうじて足を踏みしめて再び蒲団ふとんの上にかしこまつた。そしてすつかり正式の読経の姿勢になつた。前の懺悔文を立てつゞけに誦し続けた。
老主の一時期 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
蒲団ふとん着て寝たる姿の東山を旅館の窓からながめつつ、眠ったような平和な自然美をあくまでむさぼっていた長閑のどかな夢を破ったのは眉山のであった。
もっとも寝床と言っても、穴があいて中のわらが見えている蒲団ふとんと、下まで見通せるほど穴だらけの掛け物とにすぎなかった。敷き布もなかった。
ある日、彼はその女中のために蒲団ふとんを持って収容所を訪れる。板の間のむしろの上にごろごろしている重傷者のなかに黒く腫れ上った少女の顔がある。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
此の時の彼の顔は全く蒲団ふとんの襟深く埋められてゐたけれど其の云ひやうのない表情はわづかに見えてゐる額にも読まれた。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
「勝手にしゃあがれ」と思いながらうっちゃらかしておいて私はさっさっと便処に行って来て床の中にもぐりこんで頭からすっぽり蒲団ふとんかぶった。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
誰かが這入はいったことすらも例がないのでいぶかりながら押入をあけると、積み重ねた蒲団ふとんの横に白痴の女がかくれていた。
白痴 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
が、そのうち私はとうとう睡たさにしつぶされて、茶の間に仮りに敷いてある蒲団ふとんに碁石なんぞを手にしたまま、うつ伏してしまうのが常だった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
衛生にさしつかえないだけの清潔な蒲団ふとん、それをさえ充分に備えていない家族も少なくはあるまいと思うが、それならば金持ちの所へ行ってみると
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)