芝山内しばさんない)” の例文
それは、芝山内しばさんないの、紅葉館こうようかんに、漆黒の髪をもって、ばちの音に非凡なえを見せていた、三味線のうまい京都生れのお鹿しかさんだった。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
しかるにわが東京においてはもし鬱然うつぜんたる樹木なくんばかの壮麗なる芝山内しばさんない霊廟れいびょうとても完全にその美とその威儀とを保つ事は出来まい。
時は九月の初め、紅塵こうぢんひるがへる街頭には赫燿かくやくと暑気の残りて見ゆれど、芝山内しばさんないの森の下道したみち行く袖には、早くも秋風の涼しげにぞひらめくなる
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
そんな事を言いながら、三人は芝山内しばさんないから麻布狸穴あざぶまみあなへ、うらうらとゆらぐ、街の陽炎かげろうを泳ぐように辿たどっていたのです。
なにがし法學士はふがくし洋行やうかう送別會そうべつくわい芝山内しばさんない紅葉館こうえふくわんひらかれ、くわいさんじたのはの八ごろでもあらうか。其崩そのくづれが七八めい京橋區きやうばしく彌左衞門町やざゑもんちやう同好倶樂部どうかうくらぶ落合おちあつたことがある。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
これについて見るに芝山内しばさんないの学寮は文化三年三月四日火災にかかった後、再建せられたものが八十二宇ほどあった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
静かに来り触れて、我が呼吸をうながす、目を放てば高輪三田の高台より芝山内しばさんないの森に至るまで、見ゆる限りは白妙しらたへ帷帳とばりもとに、混然こんぜんとして夢尚ほまどかなるものの如し
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
中には伯爵家はくしゃくけの令嬢なども見えていましたが夜の十時頃ようやく散会になり僕はホテルから芝山内しばさんない少女むすめの宅まで、月がいから歩るいて送ることにして母と三人ぶらぶらとって来ると
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
愚僧は芝山内しばさんない青樹院せいじゅいんと申す学寮の住職雲石殿うんせきどの年来ねんらい父上とは昵懇じっこんの間柄にて有之候まゝ、右の学寮に寄宿つかまつり、従前通り江戸御屋敷おやしき御抱おかかえの儒者松下先生につきて朱子学しゅしがく出精罷在まかりあり候処
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
ヒユウ/\と枝を鳴らせる寒風も、今は収まりて、電燈の光さびしき芝山内しばさんないの真夜中を山木剛造の玄関には、何処いづくにか行かんとすらん、一子剛一のま自転車に点火せんとしつゝあり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
方角もはじめて判明致候間、急ぎ芝山内しばさんないへ立戻り候へども、実は今日こんにちまで、身は持崩もちくずし候てもさすがに外泊致候事は一度も無之、いつも夜の明けぬ中立戻り、人知れず寝床にもぐりをり候事故
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたくしは響のわたって来る方向から推測して芝山内しばさんないの鐘だときめている。
鐘の声 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
麻布あざぶ古川ふるかは芝山内しばさんないの裏手近く其の名も赤羽川あかばねがはと名付けられるやうになると、山内さんないの樹木と五重塔ごぢゆうのたうそびゆるふもとめぐつて舟揖しうしふの便を与ふるのみか、紅葉こうえふの頃は四条派しでうはの絵にあるやうな景色を見せる。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
麻布あざぶ古川ふるかわ芝山内しばさんないの裏手近くその名も赤羽川あかばねがわと名付けられるようになると、山内の樹木と五重塔ごじゅうのとうそびゆる麓を巡って舟楫しゅうしゅうの便を与うるのみか、紅葉こうようの頃は四条派しじょうはの絵にあるような景色を見せる。
自分がしきり芝山内しばさんない霊廟れいびょうを崇拝して止まないのも全くこの心に等しい。しかしレニエエは既に世界の大詩人である。彼と我と、その思想その詩才においては、いうまでもなく天地雲泥の相違があろう。
霊廟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)