聯想れんそう)” の例文
猿沢夫人は痩せぎすの、敏捷びんしょうそうな身体つきの女性です。顔は美しいけれどもやや険があって、それは牝豹めひょうか何かを聯想れんそうさせました。
Sの背中 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
私がその第一印象に鬼の念仏を聯想れんそうしたというのも、つまりその雅懐から生ずる田中さんの持つ微笑ユウモアが然らしめたのではあるまいか。
西隣塾記 (新字新仮名) / 小山清(著)
前の格堂の句は飯時分とあるところからほぼ台所の女中の事を想像し、この句の方は調度とあるところから中働を聯想れんそうするのである。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
しかし民藝品はごく普通のもの、いわゆる上等でないものを指すため、ひいては粗末なもの、下等なものという聯想れんそうを与えました。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
今でいえば科学普及というたぐいであろうが、その先生の話をきいていると、何だか宇宙開闢かいびゃく以前の夢の方が余計に聯想れんそうされやすかった。
『西遊記』の夢 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
読者諸君、諸君はこの話を読んで、ポオの「モルグ街の殺人」やドイルの「スペックルド・バンド」を聯想れんそうされはしないだろうか。
D坂の殺人事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
これも明るい近代的の俳句であり、万葉集あたりの歌を聯想れんそうされる。万葉の歌に「東の野に陽炎かげろうの立つ見えてかえりみすれば月傾きぬ」
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
橋のたもとにある古風な銭湯の暖簾のれんや、その隣の八百屋やおやの店先に並んでいる唐茄子とうなすなどが、若い時の健三によく広重ひろしげの風景画を聯想れんそうさせた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
次第に扮装ふんそううまくなり、大胆にもなって、物好きな聯想れんそうかもさせる為めに、匕首あいくちだの麻酔薬だのを、帯の間へはさんでは外出した。
秘密 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
二つの言葉のうち、物質的な聯想れんそうの附帯する言葉を己れへの場合に用い、精神的な聯想を起す言葉を他への場合に用いているのは
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
鞍馬くらまときくさえ、すぐ、天狗てんぐというような怪奇が聯想れんそうされるところへ、この話をきいた小文治こぶんじは、もっと深くその老人が知りたくなった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
田辺の姉さんと言えば年中壁に寄せて敷いてあった床を、枕を、そこに身を横にしながら夫を助けて采配さいはいを振って来た人を直ぐ聯想れんそうさせる。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
双六谷に就き、如何にも幽怪な魔所の聯想れんそうを喚び起させるのは、橘南谿たちばななんけいの『東遊記』の中にある「四五六谷」の一文である。
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
牛小屋の方で、誰かが頓狂とんきょうな喚きを発している、と、すぐその喚き声があの夜河原で号泣している断末魔の声を聯想れんそうさせた。
廃墟から (新字新仮名) / 原民喜(著)
明子は青年の姿をあい色の層をした水に映して眺めたとき、鼻を鳴らして慕ひ寄る一匹の小犬を聯想れんそうした。実際小犬のやうに青年は潔白だつた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
モオルは鼹鼠もぐらもちと云う英語だった。この聯想れんそうも僕には愉快ではなかった。が、僕は二三秒の後、Mole を la mort に綴り直した。
歯車 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「そりあ知らないといえば、僕だってなんにも知らないようなものだがね、ただまあひょいとそんな聯想れんそうがうかんだんだ。」
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
即ち菫に相撲を取らせる場合に、一方を次郎、他の一方を太郎と呼んでいた名残で、『狂言記』の八幡大名はちまんだいみょうなどを聯想れんそうせずにはいられません。
余は井筒にれる男女の図に対してなんの理由なくただちにマアテルリンクの戯曲 Pelléas et Mélisande の一齣いっせき聯想れんそうせり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
家持の聯想れんそうは、のようにつながって、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
こんな話をしているうちに、聯想れんそうは聯想を生んで、台湾の樟脳しょうのうの話が始まる。樺太からふとのテレベン油の話が始まるのである。
里芋の芽と不動の目 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
狐は稲荷いなりの使わしめとなっているが、「使わしめ」というものはすべてはじめは「聯想れんそう」から生じた優美な感情の寓奇ぐうきであって、鳩は八幡はちまんの「はた」から
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
話が一度どくだみの事になると、鶴見にはいつでも喚起される聯想れんそうのひとつがある。石川啄木に関することである。
先ず主語表象があって、これより一定の方向において種々の聯想れんそうを起し、選択の後その一に決定する場合もある。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
その時の京子の上気した頬と光る眼、真青な楓の葉ごと枝を握った真白な細い指が、今、加奈子の膝に置かれた京子の指の聯想れんそうから、加奈子の眼に浮ぶ。
春:――二つの連作―― (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「むかしから、そのもとのひとがらはなにかを聯想れんそうさせると思っていたが、ようやく思い当った」「…………」
青竹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
同じような日ばかりの続きます退屈さからよく昔のことを思い出してみるのでございますが、それによってあなた様を聯想れんそうすることもたくさんございます。
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
したがって飛騨と云えばただちに山を聯想れんそうするまでに、一国到る処に山を見ざるは無い。この物語の中心となっている町も村も、殆ど三方はつるぎの如き山々にかこまれていた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
坂の上の雪と風とに押しひしがれてそいだような形になっている松の木はあのローマの傘松を聯想れんそうさせ
(私はさきごろ) (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
そしてその間に頭脳に浮んで来る考は総て断片的で、猛烈で、急激で、絶望的の分子が多い。ふとどういう聯想れんそうか、ハウプトマンの「さびしき人々」を思い出した。
蒲団 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
去年と同じ場所という葉書はふといやな聯想れんそうをさそい、競馬場からの帰り昂奮を新たにするために行ったのは、あの蹴上の旅館だろうかと、寺田は真蒼になった。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
お島は今着ているものの聯想れんそうから鶴さんの肉体のことを言出しなどして、小野田を気拙きまずがらせていた。男の体に反抗する女の手が、小野田の火照ほてったほおに落ちた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ネーブルは食べにくいことを除けば好きな果物のひとつだが果汁には色にも味にも妙にどぎついところがあり、どこか銀座娘を聯想れんそうさせる。葡萄もはじめての見参だ。
胆石 (新字新仮名) / 中勘助(著)
椿岳が浅草にすまっていたは維新後から十二、三年頃までであった。この時代が最も椿岳の奇才を発揮して奇名を売った時で、椿岳と浅草とは離れぬ縁の聯想れんそうとなった。
だから私も作ってみようと眼をつぶって、蝙蝠傘こうもりがさからすと云う詩をつくってみる。眼をつぶっていると、黒いものからぱっぱっと聯想れんそうがとぶ。おかしなことばかり考える。
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「相見ては千歳やぬるいなをかも我やしか念ふ君待ちがてに」(巻十一・二五三九)の「否をかも」と同じである。古樸こぼくな民謡風のもので、二つの聯想れんそうむしろ原始的である。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
私どももあの地方にはたくさんの面白い聯想れんそうを持っていますよ。そらワトソン君、俺たちがあの文書偽造犯人の、アーチェ・スタンフォードを捕えたのは、あの近所だったよ。
世間では彼等の職業では女体に慣れ切って何等の感じも受けないが、妊婦を見れば聯想れんそうってわずかに男性らしい慾望を覚えるとも云った。が、彼はそれすらも感じないのだ。
刺青 (新字新仮名) / 富田常雄(著)
しかし、その小僧の眼つきにも、妙に魚の眼を聯想れんそうさせるところがありましたから、或いは、本当にヒラメのかくし子、……でも、それならば、二人は実に淋しい親子でした。
人間失格 (新字新仮名) / 太宰治(著)
犬——と、それは直ちに人家を聯想れんそうさせる。彼は穴からいだして薄明のなかに立った。耳を澄した。幻覚であったか、そう思いかえしたとき、うおーん、たしかに前方に聞えた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
直ちに吉良上野を聯想れんそうするのが、「忠臣蔵」によって煽られた民間常識とされているが、上野介の精神分析を試みて、彼が江戸城においては暴虐にして冷酷無慚むざんな所行を繰返しながら
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
それこれの聯想れんそうから、誰とも知らず、その頃の蝶吉を、母のおもかげたように思ってた折から、煎餅屋の店で行違った時も、母があたかもその年紀としで、その頃、同じことを、ここでして
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ただ覚えているのは、稲田家の門が寺の門のように大きく、扉には大きな鋲飾びょうかざりなどが打ってあり、通された表座敷のふすまには大字の書が張ってあって、芝居の舞台が聯想れんそうされたことである。
御萩と七種粥 (新字新仮名) / 河上肇(著)
かれがそういう界隈の家家の二階や下座敷のともれているのを眺めて居れば、かれ自身も何かしらそれらのものから、むずがゆい聯想れんそうと、れいの時時おこる肉声のなまめかしい声音によって
幻影の都市 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
年とった牝猫めねこと若い牝猫との喧嘩の場面を磯五に聯想れんそうさせて、真ん中にすわっている磯五が、困りながら、内心面白くてくすくす笑って、けしかけるようなこころもちで見物しているとき
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
そしてしありとすれば、それは一種抽象的な、浄化された気分の醸製に過ぎなからう。かへつてさう云ふ感じを起すのは、踊らない、踊りを知らないで見てゐる、第三者のひま聯想れんそうのやうである。
私の社交ダンス (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
君が往々用いる黄と青の配合までもまた後者を聯想れんそうせしめる事がある。
強いて頭を空虚に、眼を閉じてもなかなか眠れない、地に響くような波の音が、物を考えまいとするだけなお強く聞える。音から聯想れんそうして白い波、あおい波を思い浮べると、もう番神堂が目に浮んでくる。
浜菊 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
世間では「呪」というと、ただちに迷信を聯想れんそうするほど、とかく敬遠されていることばです。けれどもこれが一たび仏教の専門語として、用いられる時には、きわめて深遠な尊い意味をもってくるのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
したがってこのことは美に対していつも聯想れんそうされる富貴とか贅沢とか高価とかの概念を根本的に修正する原理を与えるでしょう。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)