せりふ)” の例文
外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物のせりふを通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが必要である。
ジュウル・ルナアル (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
その技芸もとより今日こんにちの如く発達しおらぬ時の事とて、しぐさといい、せりふといい、ほとんど滑稽に近く、全然一見いっけんあたいなきものなりき。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
棄てせりふを残しつつ、不逞の非人が、逸早く逃げ延びようとしかけたので、事は先ず対手を捕えるが急! 京弥のふと心づいたのは手裏剣しゅりけんの一手です。
手当り次第に台本を持ってきて大きな声でせりふをいったり朗読したりし、対手あいてがあろうがなかろうがとんちゃくなく、すこしの暇もなく踊ったりして
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
河原崎座の狂言は二人共度々見たが、なか/\せりふそらんじ尽すわけには行かぬので、それから毎日二人で立見に往つた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
例へば彼の事件は、藝題だけを日本字で書いた、そして其せりふの全く未知の國語で話される芝居の樣なもので有つた。
所謂今度の事:林中の鳥 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
何にせよ一番目中にて、これがこの世のといふせりふを三度使ふにても、この狂言の面白きを察すべし。即ち光秀と大八郎、光俊と半次郎、光俊と菖蒲の方なり。
かう云ひ乍ら彼は、覚えなければならぬせりふが一言もない虎の役を、改めて苦々しく思ひ起した。彼は実際稽古場へは出ても、今度は他人とせりふを合はせる必要も無かつた。
(新字旧仮名) / 久米正雄(著)
「それでもわたしはハラハラしました。殿様から教えられたせりふといえば、あそこまでしかなかったのですから。あれから先が入用いるようなら、どうしたものかと思いましてね」
十二神貝十郎手柄話 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
偶然、それは「森と洞」の章のメフィストのせりふであつた。この言葉の意味は、彼にははつきりと解つた。これこそ彼が初めてこの田舎に来たその当座の心持ではなかつたか。
「ハムレツトをやりませう。せりふなしのハムレツトを。」かれはさうつて真中まんなかちながら
微笑の渦 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
(註。最初さいしよ此話このはなし芝居話しばゐばなしでしたがおくまの弾丸たまをのがれてのせりふしるして置きます、)
しずかに身を起す。)譬えば下手な俳優があるきっかけで舞台に出て受持うけもちだけのせりふ饒舌しゃべり、周匝まわりの役者に構わずにうぬが声をうぬが聞いて何にも胸に感ぜずに楽屋に帰ってしまうように
十五六世紀の西洋の甲冑かっちゅうけた士卒が出て、鎌倉武士かまくらぶしせりふを使う。亡霊ぼうれいの出になる。やがて丁抹でんまるく王城おうじょうの場になる。道具立どうぐだてさびしいが、国王は眼がぎろりとして、如何にも悪党あくとうらしい。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
「まあ、兄さんだわ。……兄さん!……ほら、やっぱりわたしが当ってよ。」こう云って妹が元気よく走り出して来てくれなかったら、彼は、飛んでもない、重苦しい翻訳劇のせりふのような調子で
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
窓からす薄暗いあかりの中で厭な姿が二つの大きな鏡へ映る。「大将、だいぶ弱つて居るぢや無いか」と僕の心の中の道化役の一つがひよつこりと現れて一言ひとことせりふを投げたきり引込ひつこんで仕舞しまふ。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
むかし一言ことせりふ、一目のおもいれもて、萬人に幸福を與へしおん身なるを。アヌンチヤタ。幸福は妙齡と美貌とに伴ふものにて、ざえと情との如きは、その顧みるところにあらざるを奈何せん。われ。
せりふはなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚でっちでも
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
(メフィストフェレスせりふを附く。博士語る。)
外国の作品、殊に戯曲に現はれる人物のせりふを通して、その人物のコンディションを知る為めには、余程の注意と敏感さが必要である。
劇作家としてのルナアル (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
そしておだるはわざと後向になつて、黄色い斑を見せる。山賊はわん平を剥ぐ時、懐から出た白旗を取り上げ、こりやこれ猫間の白旗云々のせりふを言ふ。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その最後の夜、須磨子としては珍らしくせりふを取り違えたり、忘れてしまったりして、対手あいてをまごつかせたというが、そんなことは今まで決してない事であった。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
小太郎が会釈えしゃくうちも、なほ上手の子供をずつと見廻して漸く心付き、これならばと思案を定める工合得心がいき、貴人高位のせりふよろこびあまり溢れ出でし様にて好し。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
せりふは勇ましいが慄え声で、恐々こわごわくぐりをあけながら、恐る恐る顔をのぞかしたところを、武道鍛錬の冴えをもってぎゅっとつかみ押えたのは言う迄もなく退屈男です。
そういう味が、あのまわりくどい、ねばねばとした、もって廻わったせりふ廻わしによって読者にまってくる。その逼まり方が、何んとなく猟奇小説的であり探偵小説的である。
他界の味其他 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
(鴉等退場。せりふの通の事共実現す。)
舞台の言葉、即ち「劇的文体」は、所謂いわゆるせりふ(台詞)を形造るもので、これは、劇作家の才能を運命的に決定するものである。
舞台の言葉 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
花道のつけぎはにとまり「金がかたきの世の中とはよく云つたことだなあ」と云ふせりふ、しんみりとせり。
両座の「山門」評 (新字旧仮名) / 三木竹二(著)
きくや、退屈男の蒼白秀爽なおもてに、ほんのり微笑が浮いたかと見えましたが、一緒にピリピリと腹の底に迄も響くかのごとくに言い放たれたものは、小気味よげなあの威嚇のせりふです。
「何んだ打ち込んだ。いいせりふだ。島原仕込みのさと言葉、滅法仇っぽく聞こえるなあ」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
脚本の長いせりふを一々諳記あんきさせられてはたまりません。大家のお方の脚本は、どうもあれに困ります。女形ですか。一度調子を呑み込んでしまえば、そんなにむずかしくはございません。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
正子まさこさんのせりふのおさらいだ」
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
せりふの陰翳を逸し、思ひきりその効果を歪めてゐるばかりでなく、各人物の性格からいつても、名前は同じだが原作にないやうな人物になつてをり
劇壇暗黒の弁 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「なにッ。聞いた風なせりふを吐かしゃがって、うぬは何者だッ」
シェイクスピアのせりふが浮かんできた。
銀三十枚 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「舞踊」が皆無となり、「身振り」が「しぐさ」となり、「歌詞」の一部が「せりふ」となる喜歌劇よりヴォードヴィルに至つて、益々此の傾向が著しくなる。
演劇一般講話 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「ははあ、せりふれだけで?」
隠亡堀 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
築地座の田村秋子が、近来めつきり腕を上げたといふのは定評らしいが、彼女は、何がうまくなつたかといへば、せりふの言ひ方が可なり洗煉されて来ただけである。
演劇本質論の整理 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「久しいものさ、そのせりふも」
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
俳優のせりふは、いふまでもなく「語られるために書かれた言葉」の肉声化であつて、俳優は、劇作家の創造した人物に扮して、その人物が語る言葉を語るのである。
「語られる言葉」の美 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
解らないせりふがざらにある。翻訳では無理なエツキスプレツシヨンも多からう。工夫の余地もあらう。がその解らない処にも例の魅力がやつぱりある。軽蔑ができない。
「不可解」の魅力 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
舞台のせりふが、近代劇の洗礼によつて、DÉCLAMER(朗誦する)から DIRE(語る)に変りつつある時代に、誰からともなく使はれだした言葉にちがひない。
『物言う術』の序に代へて (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
芝居なら、幕の開いてゐる間でも、一寸役者のせりふが途切れると、あつちでもこつちでも咳をする。
風邪一束 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
舞台に於ける俳優の「せりふ」については、今いろいろ考へてゐることもあるが、戯曲としての「対話」といふやうなことは、もう自分で意識することも厭になつてゐるので
「せりふ」について (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
思文 もうそんなせりふがでるのかい。このインチキ学校のために、僕がなにをすればいいの?
せりふしぐさの一致、乃至、白を云ひながら、その表象をするといふ研究が、非常に幼稚である。
「語られる言葉」の美 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
あの間伸まのびのした台詞廻し、朗読の範囲を一歩も出ない抑揚緩急、しぐさせりふとの間に出来るどうすることも出来ない空虚、これ等は前にも述べた戯曲の文体から生ずる欠陥である。
芸術座の『軍人礼讃』 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
戯曲の中のせりふがどうかと云ふと、これまた、その人物の境遇、職業、年齢、教養、並に作者の好みによつて、所謂、「万人」の模範となるやうな言葉を使はせるわけに行かない。
言葉の魅力[第一稿] (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
中央公論に発表した当時、その点を極力非難した月評家もあつたが、その後、築地座の舞台にかけ、せりふとして肉声化されたところでは、さう聴きづらいこともなかつたやうである。
「風俗時評」あとがき (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
何故なら、如何なる大劇場でも、「生命のない言葉」は、見物を退屈させ、「せりふの巧みさ」——普通この意味をはき違へてゐるが——は、芝居好きの大衆を魅了し去るものである。
演劇本質論の整理 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)