狼狽うろた)” の例文
「助けてい!」と言いさまに、お雪は何を狼狽うろたえたか、たすけられた滝太郎の手を振放して、たおれかかって拓の袖を千切れよといた。
黒百合 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
青い稲田が一時にぽっとかすんだ。泣いたのだ。彼は狼狽うろたえだした。こんな安価な殉情的な事柄になみだを流したのが少し恥かしかったのだ。
(新字新仮名) / 太宰治(著)
すると忽然こつぜんとして、女の泣声で眼がめた。聞けばもよと云う下女の声である。この下女は驚いて狼狽うろたえるといつでも泣声を出す。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
『ハイ。』と答へて、薬局生はさじを持つた儘中に入つてゆく。居並ぶ人々は狼狽うろたへた様に居住ひを直した。諄々くどくどと挨拶したのもあつた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
喜太郎は狼狽うろたへながら、しはがれた声で闇の中の見知らぬ人間を誰何すゐかした。が、相手はまだ笑ひ声を収めたまゝ、ぢつとしてゐる。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
石火矢をちこんでも、みぐるしい狼狽うろたえはしそうもない緊張が見える。鉄の塀が徐々と船に添って行くようにも見えるのである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正に天柱砕け地軸折るるかの轟音。えらい事になった、こんな時狼狽うろたえるではない、と言っても別に心の落著けようもないのだ。
登山は冒険なり (新字新仮名) / 河東碧梧桐(著)
お町は嬉しさ余って途方に暮れ、手持無沙汰に狼狽うろたえて居りましたが、文治の姿を見るより玄関まで出迎えまして、両手を突き
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
で、吃驚びつくりしたやうに、きよときよとして其處らを見𢌞しながら、何か不意に一大事件にでも出會でくはしたやうに狼狽うろたへる。やたらと氣がいらツき出す。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
そうしたなら、どんなに向うの二人は狼狽うろたえることだろう。その二人の顔を見てやりたい。いっそ、それならそうしよう。——
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
蜂は一層その騒ぎに興奮させられて狼狽うろたえるのか、それともそう云う習性があるのか、庭へ飛び去りそうにしては又舞い戻って追って来る。
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
川島は始めて我に返ったらしく狼狽うろたえた調子で、「君子さん。かまわずに置いてくれ。お客様にされちゃアかえってこまる。」
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
このときの父の様子は余程狼狽ろうばいして居るようでした。それで声さえ平時いつもと変り、僕は可怕こわくなりましたから、しく/\泣き出すと、父は益々ますます狼狽うろた
運命論者 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ヴエスヴイアスの麓の住民は気違ひのやうになつて、狼狽うろたへて騒いで逃げた。プリニイは皆んなが逃げてゐる、此の一番危険な方へ行つたのだ。
その面色、その声音こわね! 彼は言下ごんか皷怒こどして、その名にをどかからんとするいきほひを示せば、愛子はおどろき、狭山はおそれて、何事とも知らず狼狽うろたへたり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
彼は、しかし、もう狼狽うろたえても恐れてもいなかった。粛然とした空気の中に、彼はかえって安堵に似た感じを味うことが出来た。そして、もう一度
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
其跫音そのあしおとを聞くと、敵も流石さすが狼狽うろたえたらしく、力の限りに七兵衛を突退つきの刎退はねのけて、あなたの森へ逃げ込んでしまった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
めったにないことに娘の花世が急に熱を出し、死ぬほど胆を冷やして狼狽うろたえまわったが、これがようやく治まったと思ったら、厩から火事を出しかけた。
顎十郎捕物帳:02 稲荷の使 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「ハハハ。まあさ。そう狼狽うろたえなさんな。下手人どころか……まだ斬られた女の身の上さえ、わかっちゃおらん」
「そやなあ……」鴈治郎は武士道の鼓吹者から受取つた盃を唇に当てたまゝ小鳥のやうに狼狽うろたへた眼つきをした。
お松はこの声を聞くと、さすがに狼狽うろたえて立ちかけたところを、がんりきはその左の手でお松の手首をとって
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
お勢はその時奥坐舗に居たが、それを聞くと、狼狽うろたえて起上ろうとしたが間に合わず、——気軽きがろに入ッて来る昇に視られて、さも余義なさそうに又坐ッた。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
彼は、一瞬間前の狼狽うろたえた自分自身を思い浮べた。それが恥かしくなった。木下の姿を眼の前に見ると、あらゆる気兼や狼狽や敵意や嫉視は消えてしまった。
二つの途 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
「うむ、待て、危殆あぶない! 待てと言ったら待て!」と、小平太は狼狽うろたえながら、その手を振り放そうとした。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
それらの態度の狼狽うろたえた内気な、それでいて怖れに充ちているのが、私には限りなく優しいものに見えた。
性に眼覚める頃 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
狼狽うろたえて飛び起きさまに道具箱へ手を突っ込んだは半分夢で半分うつつ、眼が全く覚めて見ますれば指の先を鐔鑿つばのみにつっかけて怪我をしながら道具箱につかまって
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
天井のなかへ手を突っ込んで狼狽うろたえ騒いでいるその鼠をつかみ出すと、咽喉から釣針を吐き出させてやり、その代わり鼠の首っ玉へ釣糸を首輪のように巻きつけ
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
慌てていきなり飛び起きて狼狽うろたへながら左や右を見廻したら、ばかにお天気の良い蒼空が光つてゐた。
霓博士の廃頽 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
と空とぼけた返事をしたものの、しかし伊吹のつきつめた視線にぶつかると私は急に狼狽うろたえながら、「大丈夫ですよ」といいのこして大股に広場を突っ切っていった。
そして一生を徒らに唯着して過して人間の一大事——死とか恋とかいふものに不意に出会でつくわして、そして驚いたり悲しんだり狼狽うろたへたりしてゐる。多くは皆さうである。
孤独と法身 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
「どのようなことがあっても、狼狽うろたえてはなりませぬぞ。京弥が抜くまでは抜いてはなりませぬぞ」
「あーっといい湯だ、おい紋太夫」若さまの声である、「このばか者ッとくるか、ばかの柱をかき揚げにして一杯やるからって、紋太夫にそう云え、はっは狼狽うろたえてやがる」
若殿女難記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
明は戸口に立ったまま、そんな彼女の目つきに狼狽うろたえたような様子で、鯱張しゃちほこばったお辞儀をした。
菜穂子 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
特に前髪に命じて俊雄の両のひざたたきつけお前は野々宮のと勝手馴れぬ俊雄の狼狽うろたえるを
かくれんぼ (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
仮屋のむしろ戸明けて半分頸を出し見まわしながら「お光ちょうお光ちょう」と叫んで見ても返事がない。俄に狼狽うろたえて走り出でしもを見まわすと、繋いであった舟の影もない。
漁師の娘 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
「なに、わしが知らんかって⁉ いや、お互いに洒落しゃれは止めにしましょう」レヴェズ氏は反撃を喰ったように狼狽うろたえたが、その時、不遜をきわめていたクリヴォフ夫人の態度に
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
三藏は思はぬ賜物に少し狼狽うろたへて「もう結構です、水で結構です」と早口に辭退した。尼は無造作に「さうどすか」とすぐ鐡瓶の湯を止めてさつさと臺所の方へ行つてしまつた。
俳諧師 (旧字旧仮名) / 高浜虚子(著)
すなわち裏の垣より忍び入りて窠宿とや近く往かんとする時、かれ目慧めざとくも僕を見付みつけて、驀地まっしぐらとんかかるに、不意の事なれば僕は狼狽うろたへ、急ぎ元入りし垣の穴より、走り抜けんとする処を
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
彼が小走りにその曲り角へ来た時、彼女は恰度ちやうど三四間向うの左手の格子戸のはまつた家へ這入はいるところだつた、這入りながら彼女はふいと背後を振り返つた。道助は少し狼狽うろたへた。
静物 (新字旧仮名) / 十一谷義三郎(著)
よく顔に墨を塗られたり、帯に紐をつけて机に縛りつけられて居たり、算盤を結びつけられて居たりした。そして突然呼び起され、驚かされ、狼狽うろたへさせられて、皆の哄笑の種となつた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
はつと狼狽うろたえ立上り『あ奥様でござりまするか』とどきどきとして出迎ふる。お園をきつと睨み付け『園何も私が帰つたとて、さうあはてて、逃げるにも及ぶまい。まあそこに居るがよい』
したゆく水 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
下婢はすにも止されず、キョトキョトした眼付をしながら、狼狽うろたえている。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
上地の様子を知らない私が、突然お祭礼の御神輿おみこしを館舎にかつぎ込まれて、どうしたらいいかと狼狽うろたえているのを見て、彼女は私を後から押し出すようにしてヴェランダへ突き出したんです。
機密の魅惑 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
しかし逢ってみると、一昨日帰ったばかりだというので、ほっとしたが、「随分遅かったわ」とも口へ出せずにいるところへ、栗栖にそう言って目をじっと見詰められ、銀子は少し狼狽うろたえた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ベンヺ ロミオ、はやう! はやげた! あれ、市人まちびとさわぎはじむる。チッバルトは落命らくめいぢゃ。狼狽うろたへてゐるところでない。とらへられたならば、領主りゃうしゅ死罪しざい宣告せんこくせう。はやちた、はやう/\!
すると、その男は自分を見て、少し狼狽うろたえたがそれを隠そうとした。
香油 (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
「はやく、此処へあがつて下さい!」狼狽うろたへたヒーヴリャは、天井のすぐ下のところに二本の横梁よこぎで支へられて、そのうへにいろんながらくた道具がいつぱい載せてある棚板を指さしながら叫んだ。
家人の病気に手療治などは思いも寄らず、堅く禁ずる所なれども、急病又は怪我などのとき、医者を迎えて其来るまでの間にも頓智あり工風くふうあり、いたずら狼狽うろたえて病人の為めに却て災を加うること多し。
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
石子は余りに狼狽うろたえた自分の姿を少し恥じながら
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
小田島は少し狼狽うろたえて不用意に云って仕舞った。
ドーヴィル物語 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)