ゆが)” の例文
蒼白あおじろい、仮面のような顔に、ゆがんだ嘲笑が、刻みつけられでもしたように動かず、血ばしった眼は、けものめいた光りを放っていた。
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
手紙の文句はプツリときれてをりますが、その意味は邪念に充ちて、まづい假名文字までが、のろひと怨みに引きゆがめられてゐるのです。
老婆の顔は平生の二倍ほどにも見えたくらい一面にれ上って、目も鼻もなくなったようになり、口ばかりが片方にゆがみ寄っていた。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
池の中で旗亭の風雅な姿は積み重なった洋傘のようにゆがんでいた。その一段ごとに、鏡をめた陶器の階段は、水の上を光って来た。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
安島二郎氏が突然にゆがんだ顔を上げた。中腰になって両手を伸ばした。両袖のカフス・ボタンからダイヤの光りがギラギラとほとばしった。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ただたわみ曲った茎だけが、水上の形さながらに水面に落す影もろとも、いろいろにゆがみを見せたOの字の姿を池に並べ重ねている。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
イボタの虫なんて買ひに行くのはイヤだと駄々をこねようと思つたが、へんに唇がゆがんで来るばかりで、口をくことが出来なかつた。
イボタの虫 (新字旧仮名) / 中戸川吉二(著)
夫は怪訝けげんそうな目で彼女を見た。土佐犬のような顔! が、その犬のようにとがった口を急に侮蔑ぶべつの笑いにゆがめて彼女の夫は駆けだした。
猟奇の街 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
あおざめた唇がゆがみ、彼女は久し振りで、忘れられたモナ・リザの笑ひを笑つた。村瀬は彼女の顔を見たが、もう何も言はなかつた。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
いかに感情の激越を表現するのでも、ああまでぶざまに顔を引きゆがめたり、唇を曲げたり、ったり、もがいたりしないでもいい。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのつらい気持ちをおたがいにざっくばらんにいえないだけに、余計焦々して私はピントを合せるのに、微笑の顔がゆがみそうであった。
清貧の書 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
けれど彼には、よき父親と忠僕の家貞があり、ちまたにゆがめられがちな青春も、幾度となく、自暴自棄の淵からは救われつつ行く。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
怨死うらみじにじゃの。こう髪をくわえての、すごいような美しい遊女おいらんじゃとの、こわいほど品のいのが、それが、お前こう。」と口をゆがめる。
註文帳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
けなさるな——と言外に含ませて、老人の幻想はむざんに壊された。彼の惨憺さんたんたる思いは、顔のかたちをありありとゆがめていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
と、新田もさすがに本気すぎた彼自身を嘲るごとく、薄笑の唇をゆがめて見せたが、すぐに真面目な表情に返ると、三人の顔を見渡して
路上 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
ドサ貫の話が、激しい痛苦を伴って私の脳裏にひらめいたのである。(——市川玲子を殺したふてえ野郎だったのだ。)私は顔をゆがませた。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
室内は流石さすがに詩人の神経質な用意がゆき渡つて、筆一つでもゆがんで置かれない程整然として居た。小さな卓に菊の花がけてあつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
頬にも大きい疵のあとがあって、口のまわりにもゆがんだ引っ吊りがあって、人相のよくない髭だらけの醜男ぶおとこだったということです
半七捕物帳:18 槍突き (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
出張成金なりきんめとか、奥さんがかおをゆがめて、何々さんは出張ばかりで、——うちなんか三日の出張で三十円ためてかえりましたよ。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)
本能という言葉が誤解をまねきやすい属性によってわずらわされているように、愛という言葉にも多くのゆがんだ意味が与えられている。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
美術にあっては、一方にミレーやゴーガン等の、抒情派があり、一方にピカソやセザンヌ等の、ゆがんだ科学的の叙事詩派がある。
詩の原理 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
明白に、嫌惡、恐怖、憎惡のあらはれた表情が、殆んど面變おもがはりするまでに彼の顏をゆがませた。しかし、彼はたゞかう云つたゞけであつた——
川並かわなみの三次郎(五十歳近い)が、角材の下に転木ころぎ——二本か三本——を入れ、そのゆがみを正しながら「ようッこのウ」と音頭をとっている。
中山七里 二幕五場 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
かみさんは顔がゆがんで醜いが、率直でいいところがあるらしい。私は部屋を借りようと思ふ。そこで、いくら支払ふかと問うた。
南京虫日記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
仏法を宗派的なものに限定したり、乃至は外来の思想体系として知的に対したりするとき、歴史の根本はゆがめられるのである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
その上を、ダンスの人影が玄妙にゆがんで、一組ずつはっきり映ったり、グロテスクにもつれたりして眼まぐるしく滑って行った。
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
驚いたことには、Rの顔が妙にゆがみ出したものだ。そして、今にも爆発しようとする笑声を、一生懸命かみ殺している声音で
百面相役者 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
向う正面の坂を、一頭だけ取り残されたように登って行く白地に紫の波型入りのハマザクラを見ると、寺田の表情はますますゆがんで行った。
競馬 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
ドレゴはそう応えて、苦しそうに顔をゆがめた。水戸はそれ以外彼を追求しなかった。今この友人を更に苦しめてはならないと思ったからだ。
地球発狂事件 (新字新仮名) / 海野十三丘丘十郎(著)
おばあさんは初めての愚痴で、整つた顏をゆがめ、ワッといふ聲こそ立てなかつたが、制御を失つた泣き方になつてしまつた。
おばあさん (旧字旧仮名) / ささきふさ(著)
がっくりと根の抜けた島田まげは大きく横にゆがんで、襟足えりあしに乱れた毛の下に、ねっとりにじんだ脂汗あぶらあせが、げかかった白粉を緑青色ろくしょういろに光らせた
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
笑っていいか、泣いていいかわからないもののように、白いにおわしい美女の顔はゆがみ、紅い唇は、熱烈な呼吸に乾いて来る。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
この将軍は、癇癪の発するや、賜謁の際と雖も眼を繁く叩き、口をゆがめ、膝を上下するに、進見のもの辛うじて、失笑を禁ぜしほどであった——
『七面鳥』と『忘れ褌』 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
私は一体に話をゆがめる人は大嫌いである。そういう人とはつきあいたくないと思っている。それにしても親爺もいやな云い方をしたものである。
安い頭 (新字新仮名) / 小山清(著)
入り乱れた四肢とからだのゆがんだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。
原爆詩集 (新字新仮名) / 峠三吉(著)
これと共にあの風流をねらったいわゆる雅物は、趣味の犠牲に堕したものが多く、無用な飾りや単なる思いつきのためにゆがめられているのです。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
夜はふくろうの声があちこちにします。家はゆがみかかって支柱のある小さな古家でしたが、水がよいのと、静かなのとを主人が喜んで極めたのでした。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
かわらが落ちてくればちょうどそれに打たれる場所、家が庭の方にゆがんで倒れればちょうどその軒に打たれる場所であった。
地異印象記 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
見ると、年若い助手の久吉も、矢張やはり気が顛倒てんとうしたものか、ゆがんだ顔に、血走った眼を光らせながら、夢中になって、カマに石炭を抛込なげこんでいる。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
その時与吉の鼻の穴がふるえるように動いた。厚いくちびるが右の方にゆがんだ。そうして、食いかいた柿の一片いっぺんをぺっと吐いた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その貪慾をどれ位いの程度にゆがめつつあるかを思い、近代における画家の仕事のいよいよ複雑なる困難さを私は考える。
油絵新技法 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
生くる正義はこの事によりてわれらの情をうるはしうし、これをして一たびゆがみて惡に陷るなからしむ 一二一—一二三
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
ここらは割に土地が低いので、河原からあふれ出た泥水が、ものすごい勢いで家をゆがめたり、押流したりしたのだろう。
幻化 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
と、坂本さんが、ぼくのかたたたき、「秋子ちゃんからじゃないか」と笑いながら、言います。皆の顔が、一瞬いっしゅん憎悪ぞうおゆがんだような気がしました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
同時に、あの眼のふちの細い真直な線と、細い真直な脣と、鼻の凹みとが、見事に悪魔的に見える皮肉さを見せてゆがんだ。
物体にゆがみを生じさせるのは、力ではなくて圧力である。棒でてのひらを押してみても何でもないが、それと同じ力で針でつけば、つきささるわけである。
立春の卵 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
明治維新の大業が藩閥はんばつとか政党閥によってゆがめられ、あげくの果が軍閥の暴挙となって今日の事態をまねくに至った。
咢堂小論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
僧侶らしい顔もあった。皆の顔は苦痛のために、眼は引釣ひきつり、口はゆがみ、唇や頬には血が附いていた。そこからは嵐のような呻吟うめき叫喚さけびれていた。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
みつは・みぬまと若やぐ霊力とを、いろいろな形にくみ合せて解釈してくる。それが、詞章の形をゆがませてしまう。
水の女 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
『あゝ、まだ蟲ア啼いてる!』とお八重やへは少し顏をゆがめて、後れ毛を掻上げる。遠く近くで戸を開ける音が聞える。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)