昔、弟橘媛おとたちばなひめ日本武尊やまとたけるのみことのために、おん身を犠牲にあそばしたように、燁代は、昭和遊撃隊の身がわりになって、死にとうございます。
昭和遊撃隊 (新字新仮名) / 平田晋策(著)
勢籠をムレと読むことが忘られて、大を王と改め、日本武尊やまとたけるのみことに附会したもので、信憑し難き説であることは一見して明かであろう。
マル及ムレについて (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
大昔日本武尊やまとたけるのみことが、ここに来て狩りをなされ、渇きをお覚えなされたが水がないので、弓弰ゆはずをもって岩をおさしになると清い泉が湧いた。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
日本武尊やまとたけるのみこと』などゝいふ脚本の、独りよがりになり、又感想文になり、空虚なる文字になつたのも、止むを得ないではないか。
自他の融合 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
草薙くさなぎつるぎ景行天皇けいこうてんのう御時おんとき東夷とうい多くそむきて国々騒がしかりければ、天皇、日本武尊やまとたけるのみことつかわして之を討たしめ給う。みこと駿河するがの国に到りし時……
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
あの日本武尊やまとたけるのみことが地方平定の重い任務を帯びたもうた時、ご一行は二隊にわかれまして、鑑察の役目をうけたまわりました吉備武彦きびたけひこ越後えちごへむかい
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
キタカミの文字がヒタカミのなまりであるという考証を仙台で聞いた。してみると、人文のいま剖判ほうはんせざる上古、武内宿禰たけのうちのすくねや、日本武尊やまとたけるのみことの足跡がある。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
日本武尊やまとたけるのみこともこの岩まで登って来て引っ返されたと云うので、武尊岩の名が残っているのだそうです。そのそばには天狗の花畑というのがあります。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
遠いむかし——武神ぶしん日本武尊やまとたけるのみこと東征とうせいのお帰りに、地鎮じちんとして鉄甲てっこうけておかれたというその神地しんちは、いま、えんばかりな紅葉もみじのまッさかりだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本武尊やまとたけるのみこと東征の途中の遭難とか、義経よしつね大物浦だいもつのうらの物語とかは果して颱風であったかどうか分らないから別として
颱風雑俎 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
尾州一の宮の神主かんぬし、代々鶏卵を食せず云々、素戔嗚尊すさのおのみことの烏の字を鳥に書きたる本を見しよりなり。熱田にはたけのこを食わず、日本武尊やまとたけるのみことにてまします故となん云々。
小町桜のある処は、むかし日本武尊やまとたけるのみことの休憩あらせられし処と称す。水無川は、百人一首にある陽成院の『筑波根の峯より落つる水無川恋ぞつもりて淵となりぬる』
秋の筑波山 (新字新仮名) / 大町桂月(著)
日本武尊やまとたけるのみことの軍におられた橘媛たちばなひめなどは、妻としての従軍と考えられなくもない。崇神天皇の時にそむいた建埴安彦タケハニヤスヒコの妻安田アダ媛は、夫を助けて、一方の軍勢を指揮した。
最古日本の女性生活の根柢 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
少女に仮装して、敵将を倒した日本武尊やまとたけるのみことよりも、本当の女性であるだけに、それけ勇ましい。命よりも大切な、貞操を犠牲にしているだけに、限りなく悲壮であった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
ついに国の名の武蔵の文字と通わせて、日本武尊やまとたけるのみこと東夷あずまえびすどもを平げたまいて後甲冑よろいかぶとの類をこの山に埋めたまいしかは、国を武蔵と呼び山を武甲というなどと説くものあるに至れり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ヤマトの語に当つるに相変らず「」の字を用うる例で、それが畿内の大和一国を表わす場合は勿論、同じ人名にしてもヤマトタケルノミコトの場合には、「日本武尊やまとたけるのみこと」と書き
国号の由来 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
節瘤ふしこぶだった両手両脚を出して、角力すもうの廻しのような、さしっこでこしらえた前掛をかけて、白い眼だった。私は日本武尊やまとたけるのみこと熊夷くまそを思うとき、その酒屋の阿父を思出していたほどだった。
日本武尊やまとたけるのみことにも当る方で、神話中の人物にもその分身はタクサンありますが、日本の中ツ国を平定するために天照大神に命ぜられてタカマガ原から日本の中ツ国へ降りてきた天のワカヒコのミコト
飛騨の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
日本武尊やまとたけるのみこと熊襲くまそを退治していられるところとかいうような、勇ましい中にも、むごたらしいような石版絵が、西郷様の肖像とか高山彦九郎の書いた忠の字とかいうものと一緒に並んでいるのでしたが
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
日本武尊やまとたけるのみことが東夷征伐の途上この附近をお通りになった時、八日の間、この山が見えていたというので、八日見山と名付けられたという古事は
奥秩父 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
古代に日本武尊やまとたけるのみこと、中世に日蓮上人の遊跡ゆうせきがあり、くだって慶応の頃、海老蔵えびぞう小団次こだんじなどの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の郡内ぐんないあたりは人気が悪く
この二族の平定者として、日本武尊やまとたけるのみことの御名が美しく輝いてゐる。日本武と云ふ御名は、大和朝廷の武威が、日本全国を圧したことを意味するのではないかと思はれる。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
なおこの熱田の宮の神さまは、日本武尊やまとたけるのみことをお祀りしたものとも聞いていますので、日頃よりうやまい尊ぶ御神の御前にて、初冠ういこうぶりないたすこと、男冥加おとこみょうがぞとも思ったりして参りました
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さて『桂林漫録』に日本武尊やまとたけるのみこと駿河の国で向火むかいび著けてえびすを滅ぼしたまいし事を記して、『花鳥余情』に火の付きたるに此方こなたよりまた火を付ければ向いの火は必ず消ゆるを向火という。
日本武尊やまとたけるのみことも危うく駿河の焼津の野火で、屍体をまでも焼かれ給うべきところであった。また葛城つぶらの大臣は、黒彦皇子・眉輪王等とともに、雄略天皇の為に家ぐるみ焼かれてしまった。
社のいい伝えでは、昔、日本武尊やまとたけるのみことがここで弟橘姫おとたちばなひめをお祭りになった時、お供え物についた楠のお箸を取って土の上に立て、末代天下泰平ならば、この箸二本とも茂り栄えよと仰せられました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
たとえば日本武尊やまとたけるのみことの東征の交通路などを見ると分りますが、上野こうずけノ国からウスイ峠をこえて信濃へはいってヒダへ出たのは木曾御岳と乗鞍の中間の野麦峠のようだ。この峠のヒダ側は小坂オサカの町です。
お雪さん、しっかりしなくちゃいけません、この花の香いぐらいが何です——それそれ、この山から立ちのぼる悪気の香いは、日本の武神日本武尊やまとたけるのみことのお命を
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
前岳のは日本武尊やまとたけるのみこと、本岳のは倉稲魂命うがのみたまのみことで、伊那の前岳にも何神か祭ってあったが記憶に存しない。農ヶ池を玉池と誤記した事に就ては「登山談義」を参照して頂きたい。
木曽駒と甲斐駒 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
ことごとくこれを捕えてお殺しになったとか、同じ天皇の熊襲くまそ御征伐の時にも、熊襲の娘を誘うて親を殺さしめ給うたとか、日本武尊やまとたけるのみこと出雲建いずもたけるを誅せられる時に、まず和睦して共にの川に水浴し
また十六歳の日本武尊やまとたけるのみことが女装して熊襲くまそを退治する話。この熊襲がいまわの言葉に、あなたのような強い人にははじめて会った。あなたの強さは日本一だからヤマトタケルと名のりなさいと云って死ぬ。
「いや、もっと調子が古いわい、江戸時代の産物ではない。いったいこの笹子山は一名坂東山ばんどうやまといって、古来、関東で名のある山、日本武尊やまとたけるのみこと以来の歴史がある」
そもそも武張ぶばった歴史を持ったもので、日本武尊やまとたけるのみことが秩父の山に武具をおさめたのがその起源と古くより伝えられていますが、御岳山の人に言わせると、それは秩父ではない
日本武尊やまとたけるのみことがこの山で大蛇おろちにお会いになって、それがために御寿命をお縮めあそばされたという歴史の真相、あれはおそれ多いことでございましたね、山神が化して大蛇となり
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
日本武尊やまとたけるのみことを伊吹の毒の山神の森に向わしめた尾張の宮簀姫みやすひめの名。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
済まねえ——夜中にお騒がせ申して、ほんとに申しわけはねえと思うが、なにぶん、後ろには大敵、ところは名にし負うおろちのむ胆吹山——日本武尊やまとたけるのみことでさえお迷いになった山なんだから、そこんところを
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)