せふ)” の例文
忠宗は世を去る三年前に、紀伊の連れてゐる初子の美しくて賢いのに目を附けて、子綱宗のせふにしようと云ふことを、紀伊に話した。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
其父そのちちたたかひて(七三)くびすめぐらさずして、つひてきせり。呉公ごこういままた其子そのこふ。せふ(七四)其死所そのししよらず。ここもつこれこくするなり
すみやかに去れといふ。真女子まなご涙を流して、まことにさこそおぼさんはことわりなれど、二三三せふことをもしばし聞かせ給へ。
と云へる有様の歴々あり/\と目前に現はれ、しかもせふの位置に立ちて、の言葉を口にしようし、りようをしてつひ辟易へきえきせしめぬ。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
旗野に一人いちにんせふあり。名をむらといひて寵愛限無かぎりなかりき。
妖怪年代記 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
推するに霧渓二世瑞仙の所謂「嘗游于藝華時、妾挙一男二女、(中略)二女皆夭」の文中、せふと一男とは虚で、二女は実であつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
せふかさね/″\りようえんあるをとして、それにちなめる名をばけつ、ひ先きのさち多かれといのれるなりき。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
晏平仲嬰あんぺいちうえいは、(三六)らい夷維いゐひとなりせい靈公れいこう莊公さうこう景公けいこうつかへ、節儉力行せつけんりよくかうもつせいおもんぜらる。すでせいしやうとして、(三七)しよくにくかさねず、せふ(三八)きぬず。
柏軒の家では九日にせふ春が次男鉄三郎を生んだ。後徳安とくあんと改称し、立嫡りつてきせられて父の後を襲ぎ、磐安ばんあんと云ひ、維新の時に及んでいはほと称した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ひさりのせふが帰郷をきゝて、親戚ども打寄うちよりしが、母上よりはかへつせふの顔色の常ならぬに驚きて、何様なにさま尋常じんじやうにてはあらぬらし、医師を迎へよと口々にすゝめ呉れぬ。
母となる (新字旧仮名) / 福田英子(著)
今者いませふづるをるに、志念しねんふかし、つねもつ(六一)みづかくだものり。いまけ八しやくすなはひと僕御ぼくぎより、しかみづかもつれりとす。せふここもつるをもとむるなり
柏軒は後狩谷氏しゆんめとつた。又一せふ佐藤氏春をやしなつてゐた。しかし疎桐の生れたのは狩谷氏の未だ来りせざる前である。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
然らば奥州話にある仏眼寺の墓のぬし何人なんぴとかと云ふに、これは綱宗のせふしなと云ふ女で、初から椙原氏すぎのはらうぢであつたから、子孫も椙原氏を称したのである。品は吉原にゐた女でもなければ、高尾でもない。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)