ほり)” の例文
さくを建てほりをほる人たちが行ったりきたりしているし、そのあいだを騎馬の武士が走ってゆくかと思うと、列をつくった兵たちが
伝四郎兄妹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
土堤の右手のほりのようなところから、鉄甲てつかぶとをかぶった水色羅紗の兵士が一人携帯電話機の受話器だけを持っておどり出し、大喝一声
彼らはえいえいと鉄条網を切り開いた急坂きゅうはんを登りつめた揚句あげく、このほりはたまで来て一も二もなくこの深いみぞの中に飛び込んだのである。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この評定所と申しますのは、たつの口のほりに沿うて海鼠壁なまこかべになってる処でございますが、普通のお屋敷と格別の違いはありませぬ。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
その頃、当然、谷中は熱風に満ちて、はや生ける人の叫びすら少なくなっていたが、司馬懿父子おやこは三人ひとつほりの中に抱き合って
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここのこの泥水のほりの中から切り出されて、そうして何百里の海を越えて遠く南海の浜まで送られたものであったのかと思うと
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それから二人は今のうしふちあたりから半蔵のほりあたりを南に向ッて歩いて行ったが、そのころはまだ、この辺は一面の高台で
武蔵野 (新字新仮名) / 山田美妙(著)
彼は、浴場のつもりでほりの中へ飛び込んだことがある。侍女と見違へて生人形を引き寄せて、つまらぬ失策を仕出かしたといふやうなこともある。
熱い風 (新字旧仮名) / 牧野信一(著)
なかには巡査じゆんさまじつたが、ほりむかふのたか石垣いしがきうへに、もりえだつたてい雪枝ゆきえ姿すがたを、ちひさなとりつて、くもく、とながめたであらう。……
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「なアに悪戯いたずら書きだ。国境でほりに埋められたことがあってから、俺の分隊で遺書や日記を書くのが流行はやってね、やり始めて見たんだが、俺はどうも字が下手でね」
雲南守備兵 (新字新仮名) / 木村荘十(著)
取巻いたほりの跡には、深く篠笹しのざさが繁つて、時には雨後の水が黒く光つてたゝへられてゐるのがのぞかれた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
城跡は丘にほりをめぐらし、上から下まで、空壕の中も、一面に、爆破した瓦が累々と崩れ重っている。茫々たる廃墟で一木一草をとどめず、さまよう犬の影すらもない。
日本文化私観 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
血は、城のおほりに溢れ、屍は山と積む激戦を演じたけれど、勝敗は遂に決しない。そこで、寄せ手の方では城を焼き払う方略を立て、毎夜城下の街へ火を放して気勢をあげたのである。
老狸伝 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
それが三つ、それぞれ何城と呼ばれて区別される。戦国時代の土豪のった砦跡とりであとである。その中央にある城あとに代々の屋形があって、ちょっとしたほりも廻らしている。屋形のうしろに断崖がある。
たしか城のほりに近い区域だと覚えている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
町まで買物に出たあきつが、おほりをまわって外曲輪の長屋へ帰ろうとすると、煙硝倉の下のところで見なれない老婦人に呼び止められた。
日本婦道記:萱笠 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
しかし一方の傅士仁たるや、このところ戦々兢々せんせんきょうきょうたるものがあった。ほりを深め城門を閉じ、物見を放って鋭敏になっていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
浩さんがしきりに旗を振ったところはよかったが、ほりの底では、ほかの兵士と同じように冷たくなって死んでいたそうだ。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
紳士は寺のことを聞き、墓を聞き、またその昔のやかたあとを聞いた。今だにほりの跡が依然として残つてゐるといふことを村長から聞いた時には、紳士の顔にはある深い感動の表情がのぼつた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
で、連立つれだつて、天守てんしゆもりそとまはり、ほりえて、少時しばらく石垣いしがきうへ歩行あるいた。
神鑿 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そしていつの間にかほりを深くし、防柵を結び、近郷から兵糧や馬をかりあつめ人数もおいおいと殖やしてきて、今では
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「続け、続け」とウィリアムを呼ぶ。「赤か、白か」とウィリアムは叫ぶ。「阿呆あほう、丘へ飛ばすよりほりの中へ飛ばせ」
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
国峰をほふってひた押しに攻め寄せた武田軍は、外塁を蹂躪じゅうりんして城外へせまったが、そのとき大手の攻め口に新しく堅固なほりが掘られてあるのを発見した。
一人ならじ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
雲のかけはしにもまごうやぐらを組み、土嚢を積み、ほりをうずめ、弩弓の乱射、ときの声、油の投げ柴、炎の投げ松明たいまつなど——あらゆる方法をもって攻めた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また城中の武士の婦人たちだけで城壁の外廓にほりを掘った、これはひじょうに大掛りなものだったが、しまいまで婦人たちだけでやりとおした。……この壕を掘りはじめてから間もなくのことである。
日本婦道記:笄堀 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「渭水の堤を利用し、土塁を高く築いて、蜿蜒えんえん、数里のあいだを、ほりと土壁との地下城としてしまうに限りましょう」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「直義一ぜいはいま、箱根路の三島口、水飲みずのみという部落の前にほりを切って、一族死に物狂いでふせぎ戦っていると申す。……我慢はここわずかなまだ。死ぬなと申せ」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城頭では合図のかがりを、天も焦がすばかり赤々とあげていたが、城門を出た兵はたちまちほりを埋める死骸となり、生けるものは、狼狽をきわめて城中へ溢れ返ってきた。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こうささやくと、美濃部十郎や柘植つげ半之丞のともがらは、仲間だけで、野鼠やそのように、ほりの底を走り去った。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほりをわたり、城壁にとりつき、先手の突撃はさかんなるものだった。けれど城中はじゃくとして抗戦に出ない。すでに一手の蜀軍は城壁高き所の一塁を占領したかにすら見えた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
勤祥は、甲衣馬装を飾って、今度は堂々と城のほりぎわに立った。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その夜、曹操は軍兵に率先して、みずからほりぎわに立ち
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)