道西どうせい)” の例文
一行は柴田家の老臣宿屋七左衛門、浅見対馬守入道道西どうせい、ほか士分二十余名、荷駄足軽の供数十人という大人数であった。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その人間が、常に叔父勝家のそばにいる浅見入道道西どうせいとわかると、すぐ彼がこれへ使者に来た用向きも、会わないうちに知れた気がしたからである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)