それが終って、もとの寝所へ戻ったとき、連子窓がほのかに白んでいた。寝所まで送って来た周防が、帰ろうとするのを、甲斐が呼びとめた。
お駒は定吉と二人で玄關横の連子窓から、伸び上つて道臣の後姿を見送りながら、こんなことを言つて笑つた。
そこで、再び歌を思うことに気分を転じようとつとめる途端、ふと何かの気配を感じて、縁に沿うた連子窓を見ました。そこに何やらの虫が羽ばたきをしている。
連子窓の障子がうっすら白んでいるようにみえた、頭は濁り、躯はふらふらし、なにかのぬけがらのような感じである。——妻のお石の姿が眼にうかんだ、甲だかな叫びごえが耳にまざまざと聞える。
“連子窓”の解説
連子窓(れんじまど)は、断面方形又は菱形の細長い木材(連子子)を縦又は横に連ねた連子を嵌め込んだ窓である。採光、通風、防犯を目的とする。
飛鳥・奈良時代に、大陸から伝来した建築様式の中で使用され始めた。
寺院や神社で用いられることが多く、日本では法隆寺(7世紀初頭)の回廊部分、薬師寺、春日大社、大極殿の回廊等に見られる。当時は柱は丹(朱)、壁は白、連子窓は青(緑)に塗られることが多かった。一例として、三十三間堂の東大門は朱塗りと白壁・緑の連子窓が鮮やかな典型的な鎌倉様式で再建された。
茶室では竹格子を嵌めた窓を連子窓と呼ぶ。
(出典:Wikipedia)
飛鳥・奈良時代に、大陸から伝来した建築様式の中で使用され始めた。
寺院や神社で用いられることが多く、日本では法隆寺(7世紀初頭)の回廊部分、薬師寺、春日大社、大極殿の回廊等に見られる。当時は柱は丹(朱)、壁は白、連子窓は青(緑)に塗られることが多かった。一例として、三十三間堂の東大門は朱塗りと白壁・緑の連子窓が鮮やかな典型的な鎌倉様式で再建された。
茶室では竹格子を嵌めた窓を連子窓と呼ぶ。
(出典:Wikipedia)