“迅衝隊”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
じんしょうたい | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
寛一郎もその旗下に属して、迅衝隊の隊士として会津へ往ったが、会津城が陥った夜、会津藩士の家へ押し入ったところで、一人の婦人が自害しようとしていた。
“迅衝隊”の解説
迅衝隊(じんしょうたい)は、戊辰戦争における御親征東山道先鋒総督軍(土佐藩兵)の主力部隊。
1868年(慶応4年)1月6日に編成され、1870年(明治3年)11月藩命により解散。隊士総数は約600名。乾退助(のちの板垣退助)が軍制改革を行い編成した土佐藩「士格別撰隊」を起源とする。実質的には板垣退助を主将とし、上士勤王派の諸士、旧土佐勤王党員ら土佐藩内で勤王の志の強いもの達で構成された。これとは別に土佐藩の上士で構成された「胡蝶隊」という部隊もある。
(出典:Wikipedia)
1868年(慶応4年)1月6日に編成され、1870年(明治3年)11月藩命により解散。隊士総数は約600名。乾退助(のちの板垣退助)が軍制改革を行い編成した土佐藩「士格別撰隊」を起源とする。実質的には板垣退助を主将とし、上士勤王派の諸士、旧土佐勤王党員ら土佐藩内で勤王の志の強いもの達で構成された。これとは別に土佐藩の上士で構成された「胡蝶隊」という部隊もある。
(出典:Wikipedia)
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