踏歌とうか)” の例文
御簾みすぎわには女房が並んでいた。その人たちの外へ出している袖口そでぐちの重なりようの大ぎょうさは踏歌とうかの夜の見物席が思われた。
源氏物語:08 花宴 (新字新仮名) / 紫式部(著)
少なくとも開眼供養の時には、踏歌とうかの類はじかに庭の上で演ぜられたのである。東西発声、分庭而奏(続紀)とある。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
踏歌とうかとか続いてはなやかなことばかりが行なわれていたが中宮は人生の悲哀ばかりを感じておいでになって、後世ごせのための仏勤めに励んでおいでになると
源氏物語:10 榊 (新字新仮名) / 紫式部(著)
次が踏歌とうか(あるいは女漢躍歌とうか)百二十人、これは女が二組に分かれて歌いながら踊るのであろうが、『釈日本紀』の引用した説によると歌曲の終わりに「万年阿良礼よろずとせアラレ」という「繰り返しリフレイン」がつくので
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
踏歌とうかは女御がたの所へ実家の人がたくさん見物に来ていた。これは御所の行事のうちでもおもしろいにぎやかなものであったから、見物の人たちも服装などに華奢かしゃを競った。
源氏物語:31 真木柱 (新字新仮名) / 紫式部(著)
玉鬘たまかずらの姫君はあの踏歌とうかの日以来、紫夫人の所へも手紙を書いて送るようになった。
源氏物語:24 胡蝶 (新字新仮名) / 紫式部(著)