苦諦くたい)” の例文
すなわち「苦諦くたい」を、いま人生はどうあるかの問題に対する説明とすれば、「集諦」は、「なにゆえにそうであるか」の問題に対する説明ということができましょう。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
すなわち釈尊が四苦八苦といわれた、その苦諦くたいの苦ではないのです。少なくとも人間苦といい、社会苦といわれる苦には、資本家だとか、無産者だとかいうような区別はありません。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)