互に私宅へ訪ねて行く事なども滅多にない。彼はこの村に福富の外に自分の話相手がないと思つてゐる。これは實際である。そして、決してそれ以上ではないと思つてゐる。
それは精密な時刻を知るためよりもむしろ自分の歩いて行く方向を決するためであった。帰りに吉川の私宅へ寄ったものか、止したものかと考えて、無意味に時計と相談したと同じ事であった。
福富の欠勤の日は、甲田は一日物足らない気持で過して了ふ。それだけの事である。互に私宅へ訪ねて行く事なども滅多にない。彼は、この村に福富の外に自分の話対手がないと思つてゐる。