直奏じきそう)” の例文
その忠顕は、外では義貞とむすび、公卿僉議せんぎでは、たれよりつよい主戦論をとっていた。そして後醍醐へもしばしば直奏じきそうの下に迫るなどの熱中のしかたであった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)