生修行なましゅぎょう)” の例文
などと自負している生修行なましゅぎょうこそ却って往々にして、やり直しのきかない末代までの不覚をとるものである。むしろ平生において自分の覚悟のほどを危ぶんでいるくらいな者のほうが誤りが少ない。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)