橋本左内はしもとさない)” の例文
だからこそ林子平はやししへいが『海国兵談かいこくへいだん』を出し、橋本左内はしもとさないは日本が「第二のインドになる」ことを恐れた。
黒船来航 (新字新仮名) / 服部之総(著)
京都で策動していた越前の藩士橋本左内はしもとさないは、そのころ、江戸の松平春嶽まつだいらしゅんがくの屋敷内に住んでいた中根雪江なかねせっこうへ密書をおくつて、そのなかに、つぎのようなことを書いている。
こうした適塾てきじゅく生徒せいとなかから、わかい革命家かくめいか橋本左内はしもとさない軍人ぐんじん政治家せいじか村田蔵六むらたぞうろく(のちの大村益次郎おおむらますじろう)、医療いりょう制度せいどをあらためた長与専斎ながよせんさい日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃをつくった佐野常民さのつねたみなど
すなわちこの説は、革命の絶対排斥論である。維新前後には、この主義をとなえていた、いわゆる勤王派が、日本にいくらかいた。橋本左内はしもとさないとか、吉田松陰よしだしょういんとかが、その一味である。