栗園りつゑん)” の例文
此年多紀宗家では棠辺たうへんが和宮の東下を迎へまつらむがために京都に往つた。浅田栗園りつゑんのこれを送つた詩がある。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
彼浅田栗園りつゑんの如きは即是である。若し柏軒先生が此に至るまで生存してゐたら、能く身を保つこと栗園に等しきことを得たであらうか。わたくしは甚だこれを危む。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
寛政の末の武鑑に目見医師の部に載せて、「日比谷御門内今大路一しよ」と註してある。浅田栗園りつゑんの皇朝医史には此人のために伝が立ててあるさうであるが、今其書が手元に無い。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)