トップ
>
持明院統
>
じみょういんとう
ふりがな文庫
“
持明院統
(
じみょういんとう
)” の例文
さらには「尊氏とて、皇室を思う心は一つ。ただ現帝に代えて、
持明院統
(
じみょういんとう
)
の君を立てて、世を安きにおかんと思うばかり……」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼が、切望に切望していた
持明院統
(
じみょういんとう
)
のお一ト方による
院宣
(
いんぜん
)
はついにこの日までまだ手にすることができなかった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
尊氏のことばによって、
持明院統
(
じみょういんとう
)
の
院宣
(
いんぜん
)
ここにわれらへ
降
(
くだ
)
る——と、満座へ発表されたものであろう。室山の城もゆるぐばかりな歓声が突然わっとそこで揚がった。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この
持明院統
(
じみょういんとう
)
の
皇
(
きみ
)
は、さきに尊氏へたいして、尊氏が
請
(
こ
)
うた
宣旨
(
せんじ
)
を降下し、錦の旗をも与えていた。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「……ただただ憂いのみにござりまする。いまや尊氏の許には、
持明院統
(
じみょういんとう
)
の
皇
(
きみ
)
の院宣も
密
(
ひそ
)
かに降下されておること。——君と君との血みどろを、臣として、何で心なく見ておられましょうか」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
もう一つの大きな反後醍醐派は、
持明院統
(
じみょういんとう
)
とよぶものだった。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“持明院統”の解説
持明院統(じみょういんとう)とは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた日本の皇室の系統で、第88代後嵯峨天皇の皇子である第89代後深草天皇の子孫で、大覚寺統に対比する。この持明院統が、のちの北朝に繋がる。
(出典:Wikipedia)
持
常用漢字
小3
部首:⼿
9画
明
常用漢字
小2
部首:⽇
8画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
統
常用漢字
小5
部首:⽷
12画
“持明院”で始まる語句
持明院
持明院派