家宣いえのぶ)” の例文
西之丸に隠居した前将軍家宣いえのぶから貰いうけた拝領面——出目洞白でめどうはく刀彫とうぼりの鬼作と称せられている鬼女面を秘めた一箇の箱。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
宝永六年の二月、家宣いえのぶが将軍宣下をすると同時に、綱吉の近臣を残らず罷免ひめんした故実をひき、もっともらしい献策をしたのを、政岑がそのままとりあげたのである。
鈴木主水 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
孝和は長じてから甲府の徳川綱重とくがわつなしげ並びにその子綱豐つなとよに仕えたので、寳永ほうえい元年に綱豐が将軍の世子となり、名も家宣いえのぶと改めたときに、孝和もまたこの世子附として幕府の御家人となり
関孝和 (新字新仮名) / 石原純(著)
六代将軍となった家宣いえのぶ(甲府侯)と、その帷幄いあくの人々の、すばやい、果断な処置によって、柳沢系の勢力は、巧みに骨抜きにされ、もはや、なにをする余力も、無くなっていたのであるが。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
この日西邸へ伺候して家宣いえのぶ(この時はまだ将軍ではなかつた)に拝謁すると、その年八月一人の蕃夷ばんいが大隅海上の島へついたといふ長崎からの報告が話題に上つて、ローマ、ロクソン、ナンバン