“天部:あまべ” の例文
“天部:あまべ”を含む作品の著者(上位)作品数
喜田貞吉6
“天部:あまべ”を含む作品のジャンル比率
社会科学 > 社会 > 社会学24.2%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
文字には「天部あまべ」または「余部あまべ」とも書きまして、もとは皮田かわたとも穢多えたとも言われておりました。
また今の京都の天部あまべ部落は、もと四条河原に居まして、これを「四条河原の細工さいく」ともあります。
天和・貞享年間の「雍州府志」には、京都天部あまべ部落の状態を記して、その家富める者多しと書いてあるが、これはひとり天部のみの事ではなかった。
そして今の天部あまべ部落は、もとこの鴨河原の住民で、後に四条河原の細工とも呼ばれ、やはりここで放牧葬送の地の世話をしておったのがその起原であったかと察せられるのである。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
御所のお庭のお掃除は、もと京の天部あまべと呼ばれた部落から出て勤めたもので、それを古くから小法師と呼ぶ例であったが、これが中頃失策があって、一時は大和や丹波から出ておった。
賤民概説 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
これらの島や鴨河原へ、餌取えとり余戸あまべの本職を失ったものが流れ込んで、所謂河原者をなし、その或る者はエタと呼ばれ、或る者は天部あまべと呼ばるるに至ったものではあるまいか。
エタ源流考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
したがってその付近にある旧悲田院の部落や、旧エタの頭村と言われた天部あまべ部落を通過する機会が多く、自然にその現状に通暁するに及んで、もとエタ非人と並称せられ、法制上からはむしろ下位に見られた旧非人の方が立派になって
編輯雑感 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
たしか明治四十一年の春であったと記憶しますが、私が始めて京都大学の講師として赴任した年のこと、同地の天部あまべの篤志家故竹中庄右衛門翁の家庭をうて、その所蔵の古文書を見せてもらい、そのついでに翁の依頼に応じて、同町内の夜学校舎で、町内の有志のために、一場の講話を試みたことがありました。
融和促進 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)