門づけになろうと乞食になろうと、悔いもなければ未練もなく、先に出世がある身でなければ、恥ずかしいこととてござりませぬ。
ある日、逆さにふっても鼻血も出ない一文無しでこの金沢の楽屋を出て、京橋の上へかかってきたら忘れもしない爺さんの乞食が、自分の前に七、八銭並べて、どうぞやどうぞやとお辞儀をしている。
“乞食”の解説
乞食(こつじき、こじき)は、
本来は仏教用語で「こつじき」と読む。比丘(僧侶)が自己の色身(物質的な身体)を維持するために人に乞うこと。行乞(ぎょうこつ)。また托鉢。十二頭陀行(じゅうにずだぎょう)の一つで、これを清浄の正命と定める。もし自ら種々の生業(なりわい)を作(な)して自活することは邪命であると定める。
上の意味が転じて、路上などで物乞いをする行為。具体的には他人の憐憫の情を利用して自己のために金銭や物品の施与を受けることをいう。
(出典:Wikipedia)
(出典:Wikipedia)