下着げちゃく)” の例文
それは元久げんきゅう元年のことであったが、その十二月になって御台は鎌倉に下着げちゃくした。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
一行は九月十七日に京都を立って、同月二十五日には無事江府に下着げちゃくした。そして、石町こくちょう旅人宿りょじんやど小山屋に、江州ごうしゅうの豪家垣見左内公儀に訴訟の筋あって出府したと称して逗留とうりゅうすることになった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
鎌倉表に下着げちゃくのせつは、ただちに執権どのにお目にかかり、憲房が身に代えても、きっと、甥(高氏)のこうむれる御不審に答えて、蟄居のとがを解かんと、さも御確信ありげに、したためてござりまする
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
○同三月十日、京囚下着げちゃく、各大名に預けらる。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)